<   2018年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧
ひとあし一足春になる
ことのほか寒い冬であった。隣家のつららは最長記録。
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そしてユキヤナギは、固く締まった雪に押しつぶされるようであったのに、雪が融けてみれば折れもせず元気に跳ね返り、すでに緑色の芽さえ付けている。ひとあしひとあし春になる。一歩一歩日が延びる。
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手摺に積もった雪。40cmほど。

いつになく待ち遠しい春。


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by trmt-ken | 2018-02-27 09:15 | 折々に・・・ | Comments(0)
ジャン・コクトーのこと
本日の読書欄に、コクトーの「恐るべき子供たち-アンファン・テリブル-」のことが載っており、あっと思った。不可解さ、それにも関わらず透明な哀しさに満ち、不思議な余韻がある。なぜだろうと、ずっと疑問だった・・・。20歳の親友ラディゲを亡くし、コクトー自身アヘン中毒に、そして2度目の入院中に書かれたのがこの小説とか。死者へのラブレターか。
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コクトーによる表紙絵(1958年ポケット版):外と中が裏返った世界。そして、なぜか左が姉、右が弟、合体して怪物となる。
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書かれた内容が問題ではない。筋などもうどうでもよい。ただ、こうした切々とした感覚を生み出せるというのが文学の本質かと思う。そして、心に引っかかる物語が、なぜか夭折した人へのメッセージのように書かれていることがままある。あるいは、その人を書き留めておきたいという願い。そうしないと本当に消えてしまうという思い。それが切ない。

大人にならないピーター・パン。陰に亡くなった少年の面影。
そして、モンテーニュの-随想録エセ-。夭折した友ラ・ボエシーとの生涯をかけた魂の交感とも読める。
( 礼)

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by trmt-ken | 2018-02-11 21:28 | 読書日記 | Comments(0)
ゴリラ学者の考えること
本日の新聞コラムにゴリラ学者山極寿一氏(京都大学総長)の住まいについてのエッセイが載っていた。建築科の学生のつくったシェアハウスがゴリラの住居に似ている!と思ったところから始まり、示唆に富む住居論であった。
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現代の住居が隣人とも自然とも関係を断って孤立しつつあり、そしてネットや公共サービスや保険制度に救いを求めている・・とし、「原初的なつながり」の再発見を提言している。ゴリラと仲良くしているとそうした本能的な健康さに敏感になるのだなあ。わかるなあ。
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哲学者鷲田清一氏と山極寿一氏の対談集も面白かった。
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by trmt-ken | 2018-02-10 16:50 | 折々に・・・ | Comments(0)
林田摂子写真展【ご案内】
林田摂子さんの写真展「岸へ」があります。
2月24日よりDoor さんにて
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林田さんはかって「ひびきあうもの」No.2-森をさがす-で、清光院下のギャラリーで写真展を開かれました。その後松江市民になり、母になられました。また新たな一歩を祝福したいと思います。

ヨーロッパでも隠岐の島でも自然体で、写真に枠がなく、空間と対話しているような印象が強く残りました。
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ひびきあうもの-vol.2森をさがす
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ひびきあうものVol.4-家について-

隠岐の島の写真ですが、砂と石と背景のコンクリート壁の関係がとても面白いな、コンクリートが変質するなと思いました。関係について…考える。(礼)

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by trmt-ken | 2018-02-06 18:53 | コンサート・催し | Comments(0)
もう一度古民家へ
新年とても嬉しいお話があった。数年前に改修工事をした古民家の追加の改修。
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大きくて古い家だと、付属棟もあって、どこまで手を入れるかは大きな問題となる。まずは緊急の箇所改修と水回りの快適化が最初の工事であった。一段落して、数年たって、もう少し手入れの範囲を広げる気持ちになられた。

現地は昔ながらの赤瓦集落。山を背負い、車用道路とは少し離れた細い道に沿って石垣と赤瓦の家並みが連続する。よくぞ皆さん昔ながらの工法を守ってくださっていると勝手に表彰したいくらいの農村景観である。そういう中でご縁があってのもう一度は、我々としては本当にうれしく、地方で建築やっててよかったなと思う瞬間である。
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窓からの眺め-付属棟からお隣へ-石州瓦の反射は照葉樹に似て
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大東の古民家-明るい床からの反映・かすかな艶-

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浜山の古民家-痕跡の魅力-

古民家改修の最初の一歩は美保関のM邸であった。青石畳みに面する旧家で、神事や祭りのための空間が広く、人はひっそりと奥に暮らしておられた。街並みと歴史を背負って生き続ける建物は私共のライフワークといってもいい。もちろん似た要素はあるにせよ、それぞれの風土との対話があり、住まい方の歴史がある。

飼いならされていない素材の持つ存在感。そして美しい闇。現在だけがすべてではないと思う。再び古民家へ。

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by trmt-ken | 2018-02-04 18:14 | 建築 | Comments(0)
「吉本隆明1968」鹿島茂-重なりにみえてくるもの-
批評とは自分をさらすしんどい仕事だ。

高村光太郎の詩をまな板に載せる吉本隆明、その吉本を読み解く鹿島茂。それぞれの出生・思想に絡めながら、批評そのものが対話であり自己表出となる。高村・吉本・鹿島の重ね合わせが輻輳していく過程は、3重奏にも似て一つの文学の形式になっているように思う。

渋江抽斎を書いた鴎外は、きっと「吾輩は猫である」の漱石を愛していたに違いない。表向きは対照的でも、奇天烈な面々が出没する知識人家庭の日常は奇妙に通底している。「抽斎」を読んでいる間中、私の内部では抽斎・鴎外・漱石が重なり合ってこだましていた。・・・小説しかり。

ナタリア・ギンスブルグの「ある家族の会話」を須賀敦子さんが訳出しようと決めたとき、個性豊かな家族に深く共感したのだろう。中でも頑固なナタリアの父と、「渋江抽斎」を勧めた須賀さんの父上。須賀敦子さんが訳したのでなかったら、私も手に取らなかったかもしれない・・・翻訳しかり。自己表出が控えられているにせよにじみ出てくるものがある。そうした重ね合わせが、自らの内部と呼応するときが本を読むよろこび。無口であったわが父親を思い出しながら。

本を整理していたら同じ本が3冊出てきた。吉本の「擬制の終焉」。寺本のと、私のと、父のと。1968年はそういう時代だった。
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安部宏「ワイングラス」で生じた干渉

そして翻って、ものの世界でも、自分の内部と共振する何かをみつけると、凍り付いて、そしておずおずと手をのばしたくなる。ほとんど触覚。それが会話。(礼)
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白井晟一「阿難」
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父の蔵書に自分のと同じものを見つけた

読書日記

2018.0203「吉本隆明1968」鹿島茂-重なりにみえてくるもの

2018.0124すぐに眠くなるおまじない「聖ベネディクトの戒律」

2017.1121文字に刻む音-蘇東坡によせて

2017.0718息(いぎ)をするように

2017.0203猫いよいよ佳境に入る

2016.0716裏返された座布団-catside down-

2016.0616.猫その後

2016.0326たどたどしい言葉で「ライムギ畑でつかまえて」

2016.0305


2016.0221高村薫「空海」を読む

2015.1109干し柿のすだれ

2015.1106

2015.0427本好きの本棚

2012.0401吉本隆明を悼む


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by trmt-ken | 2018-02-03 18:15 | 読書日記 | Comments(0)
冬の午後はゆっくりとティータイム
「ひびきあうもの」にも出品されていた門脇栄子さんのお菓子のお店が松江にできました。名前は「vert]。3中の先です。控え目な甘さで、大人のお菓子。
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本日は午後Doorの高橋香苗さんがみえ、書のはなしなどゆったりとしたティータイムになりました。
お待ちかねの、次回「ひびきあうもの」展Vol.9@清光院下のギャラリーは9月の予定とのこと。

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by trmt-ken | 2018-02-02 18:56 | 折々に・・・ | Comments(0)