<   2016年 06月 ( 11 )   > この月の画像一覧
列車の旅は人間観察の旅
列車の旅では景色も楽しいが、人間模様も面白い。
欧州冬の旅で、着ぶくれて乗り込んできた若者が、しばらくするとアノラックを脱いだ。それから何枚もセーターを脱いで、途中から横目で数えたら8枚も脱いでまだセーターを着ていた。所持品すべて着てきたのかなあ。
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-電車が走る坂道:バーゼルにてー

東京の電車では、つり革を手掛かりに機械体操をはじめたおじいさんがいた。安全ピンをアクセサリー代わりに200個ほどつけた若者も見た。車中心生活になるとそんな不思議な人との出会いが少なくて、ちょっぴり残念。自分がへんちくりんとは絶対に思っていないが、寺本は少し怪しい。
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-クール駅。へんちくりんでない人、小さなリュックでどこへでも。しかし、もうちいと別の服はないのかねー

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-クールにて。ズントーさんの昔の仕事。遺跡のシェルターー

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-アルプスを越えてイタリアに入る。輝く青空は大事な構成要素ー

帰りのミラノの空港では、ほんとに荷物はこれだけかと3度も聞かれた。衣類は古いのを持参して処分していくので、最後は着た切り雀のミニ断捨離。着ぶくれの若者を笑えない。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-28 19:58 | 折々に・・・ | Comments(0)
人間の尺度をもちたい
高村薫の『レディジョーカー』で、ブランド品を身に着けた人物はやくざか俗物として描かれる。ブランドを営々として作り上げた人の努力にもかかわらず、所持する人のみっともなさは痛ましいほどだ。 ものによる反乱。
高価な車に傷でも付けられれば腹が立つだろう。上等な服を着ていたら働けないだろう。大きな宝石を付けた人は立派か。
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-ベローナの街角にて-


人間の尺度を持ちたい。同じ土でも清潔かどうかより、虫や鳥や草が喜ぶ土が良い土ではないだろうか。
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-ベローナの古い城-

空間についていえば、能率的な空間や、立派に見える空間より、「そこにいたい」かどうかが分かれ道。時には手に余る存在感に惹かれれる。飼いならされた素材でなくて。
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-江古田の白井研究所-

(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-27 20:18 | 折々に・・・ | Comments(0)
土砂降りの雨の日は
土砂降りの雨の日は、雨のにおいがする。ミミズが喜んで土から石の上に這い出して来た。

付近に低気圧が生息していると、息が苦しい。今年は特別に。低気圧どころか頭痛がわからない『森のくまさん(所長)』と一緒にいると人生損をしているような気分だが、気圧だけでなく、なぜか株価も当たるのが隠れた特技。今日は危ないと宣言すると当たること数回。尊敬の目で見られている。でも、投資するお金なく、もうけもなし。はったり予想屋によれば、月曜もあぶないぞ。
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-羊のいる風景-スイス旅行より

イギリスがEU離脱を決定した。スイスはもともと独自路線を行く。国境の町から旅行すると財布を2つ用意して、ここからはスイスフラン、ここからはユーロと行も帰りも使い分け。汽車の車掌さんは客の顔を見て3か国語はらくらく話していた。
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-水飲みのある風景-スイス旅行より
モンテーニュは、晩年の漫遊でその地の言葉を学びながら使ったとか。語学の達人であれば馬のスピードに沿う差異であったような。
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-バルスの朝-スイス旅行より

(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-25 18:14 | 折々に・・・ | Comments(0)
浴室の妖しい影
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洗面もトイレも一緒のワンルームの浴室なので、1日に何度も浴室に入る。そのたびにガラス瓶に差したアイビーの根っこの育ち具合を見たり、鉢植えに水をやったりが、たばこのかわりの気分転換。今日はいつもより奥まで木漏れ日がのびて。いつのまにか夏至。
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-浴槽の底の景色は-


中庭は欅が王さまのごとく君臨、浴室はアイビーに占領され、人間はつつましく生きている。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-22 21:19 | 折々に・・・ | Comments(0)
八雲への通い路は
松江から八雲へ抜ける途中、車で通過するだけで、なぜかため息がでる地点がある。神魂神社に向かう交差点手前のあたり。下り勾配になって、広々とした平野が開ける。大東町に向かうときにも、止めた息をはーと吐く地点がある。緩い峠を越えて須賀神社にかかるところ。ここからは別の世界という感覚。徒歩で通う人にとってはなおさら、額をぬぐって立ち止まり、和歌でも詠じたくなる特別な場所であったろう。どちらも神社にほど近い。
そして、熊野大社に近い計画中の敷地では、元気な子供さんとともにキジのヒナが迎えてくれた。木陰の保護色の土のあたりがお気に入りとか。軒下には燕の親子も。
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-土か生き物かわからないけど-


松江の自宅でも、先日鶉の卵ほどの殻を発見。欅の葉の繁ったあたりで、また人知れずヒヨドリが孵ったかな。そういえば鳥の鳴き声が気のせいか優しいような気がする。茶色の帽子のような巣が降ってきたら、無事巣立ったしるし。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-21 17:21 | 折々に・・・ | Comments(0)
花の咲き時
清光院の角のヤマボウシに遅れることひと月、ギャラリー中庭の山法師が満開となった。
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-中庭のヤマボウシ-
アジサイと競演中。一方我が家の浴室で生育している紫陽花は、冬、年を越してようやく葉を落とした。人間同様時差ぼけ状態。湿度・温度とも高いせいかな。違う気候では花も咲き方を変える。我が家の浴室はさながら、植物の実験場。
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クリスマスローズも今は春にも咲く。ボタンは、先祖に帰ってシャクヤクになった。DNAだけでなく、翻訳された文学のように、違う風土ではまた別の世界が開ける。誤訳などと野暮は言うまい。長崎の離島の教会堂は根っこのある信仰の形を現わして、美しい。アジサイもまた、シーボルトに愛されて海を渡り、ハイドランジアとして華やかさを増して逆輸入された。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-17 15:32 | 折々に・・・ | Comments(0)
猫とその後
朝日新聞に『吾輩は猫である』が復刻連載されている。何度も何度も読んだはずなのに、また新たな発見がある。そしてついその先を読みたくなり、大病時(!)のために取ってあった「Ⅰ am a cat」まで引っ張り出す。これなら、どんなにしんどい時でも読めるだろうと。だけど手術後だったら、笑ったら痛いだろうな。
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-はじめましてMintChuChuの猫です。名前はあります。-


原文のすごいところは会話。言葉使いの差だけで、人物特定の野暮なしに会話が進む。翻訳者泣かせだろうなあ。第一、タイトルからして「吾輩」のおかしみは表現不能と訳者がハナからギブアップ。「大島紬に古渡更紗の重ね」は英語版ではあっさりと「上等の絹」でおしまい。ここらでしみじみ日本に生まれた幸せを思う。しかしながら、迷亭氏をculture-vulture Waverhouseと呼ぶなどは座布団1枚。
白眉というべきは、繰り返しのおかしさ。聞くほうも、しゃべるほうも根尽き果てて、省略できたらそれは誠に好都合。こんな文学が古今東西あっただろうか、と嘆息とともに考える。終盤の「西日かんかん」の場面。せめてそのあたり、週末中断にならぬ勢いで連載してほしいです。
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- 鼻子とくしゃみではっけよい -

新聞連載では、現在鼻子夫人が出張ってきている場面ですが、イメージは浮世絵のそれも写楽のような、カギ鼻の目の吊り上がった顔が思い浮かぶ。落語のような展開といい、江戸文化を強く意識しているのではなかろうか。
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-LISAの猫 -


(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-16 09:43 | 読書日記 | Comments(0)
自邸建設の醍醐味
今年は若手スタッフ2名の自邸設計という楽しい仕事があります。
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-ブロックという素材-
2人とも複数の成長期の子供さんの母であり、そして自宅でも仕事もできればという『これからの女性の生き方』の課題の詰まったプロジェクトです。
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-中庭の四季-
ややもすると、森のくまさん(所長)が先走って有難迷惑な案を考え出します。別の仕事で煮詰ると煙草のように住宅を構い始める。やはり住宅設計は面白い。
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-木漏れ日のスクリーン-
思えば25年前の自邸での経験は、成功も失敗もみんなその後の栄養になった。こんなに楽しい経験は人生で何度もない。折々に、経過をブログでも発表する予定です。所長に負けるな。
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-浴室の蝶(ステンドグラスは友人の作品)-
そして住宅は建って終わりではなく、一緒に育つもの。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-14 09:47 | 建築 | Comments(0)
空間の居心地・ここちよい景観 (モダニズム建築の現在-3 )
モダニズム建築の現在-3
空間の居心地・ここちよい景観

 10年くらい前(1999年)の「美しい街は可能か」、前回の「懐かしい建築・新しい建築」に続いて、今回はその(3)ということになります。「現代建築がどうもおかしい、どうしてこんなことになってしまったのだろう」という思いがずっとありました。そして、わたしたちの現代建築は今どこにいるのだろうか、ということを少しでも明らかにしたいと考え、原稿を書き始めました。3回目になって、論じたかったことの輪郭が少し見えてきました。
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清光院下の家(寺本邸)

                     
美しい街は可能か・・・・・・・・・・・第1回
懐かしい建築・新しい建築・・・・・・・第2回
  ○空間の居心地・ここちよい景観・・・・・今 回
○都市の身体としての住居・・・・・・・・次 回
○参加のデザイン・・・・・・・・・・・・その次
○建築の象徴性と装飾性・・・・・・・・・その後
○建築力の行方・・・・・・・・・・・・・まとめ
 建築に「ちから」があるとすれば、それはどのような「ちから」なのかを、確かめてみたいということのようです。
 今回は、「居心地」をキーワードとして、空間や景観について吟味してみたいと思います。
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上乃木高台の家(高橋邸)

■住宅の居心地
「住宅の設計で最も大切にしたいことは居心地である」というあたりまえのことを、サラッと言えるようになったのはごく最近のことになる。それまでは「プライバシイを確保しながら開放感があること」という説明をしてきた。寺本邸や高橋邸では素材感と断熱性を意識し、コンクリートブロック2重積み工法のコートハウス(中庭型住居)とした。
 その後、大きな庇の仁摩図書館や外断熱工法の木造住宅などを設計するうちに、シェルターとしての建築、特に「空間の居心地」について今まで以上に意識するようになった。
 この間、建築についての興味深い原理論にいくつか出会うことができた。

■ユニヴァーサリティ

「歴史性や地域性を超えた空間の普遍性(ユニヴァーサリティ)とは、人間の動物的本能に根ざしたものを指す・・・」という説であり、以前槇さんから説明を伺った時は文字どおり目からウロコであった。 姿かたちや材料がどうあれ、また洋の東西や新旧を問わず、優れた建築や素晴らしい空間には私たち誰もが感動する。この「誰もが」ということはどうしてだろうか?という疑問に対し、「現代の日本人も、大昔のアフリカ人も、中世のヨーロッパ人もそう大きな違いはない。なぜなら、みな人間だから」という説である。
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仁摩図書館の大庇


■アレグサンダーのパタン・ランゲージ
背後が守られていて、前方に大きな空間が開けている場所を人は好む・・・という例。
○「座れる階段」
見晴らしがきく程度に小高く、かつ活動に参加できる程度に低い場所を人は好む。
○「窓のある場所」
窓辺の腰掛、ベイウインドウ、敷居の低い大きな窓のわきのイスなどは万人に好まれる。

○「玄関先のベンチ」
人は街路をぼんやり眺めるのが好きである。
などである。・・・まあそうだ、と思う。
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■アップルトンの棲息適地論

「自分の姿を見せることなく、相手の姿を見ることができる場所」が動物の棲息適地の条件であるという説であり、「動物は本能的に見つけることができ、そのような場所を好む」という論である。
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人間の巣(登呂遺跡)


■人間の好む空間
これらの「ユニヴァーサリティ、パタン・ランゲージ、棲息適地」などの原理論は、「人間の好む空間には歴史性や地域性を超えた共通性があり、敵から守られていて開放感があること」ということを示している。そしてこのような場所は、人間にとって「居心地がよい、」ということのようである。アレグサンダーとアップルトンの論をつなげた樋口忠彦氏の「住処(すみか)のけしき」はとてもおもしろかった。
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人間の巣(今帰仁村公民館)

アップルトンの棲息適地論はさらに続く。「このような棲息適地を遠くから眺めた時、人間は美しい風景と感じる」というのである。何かキョをつかれたような論であり、えっそうなの(?)と思いながらも、「宇宙から見た地球は美しいらしい」とか、「アシ・ヨシの繁る水辺や森、樹木などが好ましい景観と感じるのは、魚や鳥、虫にとって棲息適地だからなのか・・・。彼らの棲息適地は、当然人間の棲息適地でもある。」と納得してしまうのである。
        棲息適地と景観は深くつながっている!
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人間の巣(地球)
景観に関わる仕事をしながらも、「好ましい景観」の判断根拠は何であろうかという疑問をずっと抱いていた。ある景観が良いか悪いかについては、多くの人は正しく判断できる。しかし、その理由や根拠を問うとうまく答えられない。「なじんでいる」という説明がある。しかし、なじむとはどのような状態を指すのか、またなじむとなぜ美しいのか、という質問には答えにくい。「街なみの連続性が大切」ともいうが、連続性のある街並みはなぜ好ましいと感じるのか、という問いも同様である。
棲息に適しているという直感が「好ましい景観」と判断させるのか!
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虫や魚・鳥の生息適地


■外部空間の居心地と景観
 樋口忠彦氏は、パタン・ランゲージと棲息適地論がつながったということに興味を感じておられた。私は、「居心地」という人間の本能に基づくことが、内部空間だけでなく外部空間や景観にもいえる、つまり景観を「外部空間の居心地」ととらえる視点に着目したい。

 景観について、「ホッとする景観」と「ハッとする景観」に分類する論がある。少なくとも前者は「外部空間の居心地」のことを指しているようだ。建物に囲まれた街路や広場などの景観がここちよいと感ずる時は、外部空間として居心地が良いからだとおもわれる。
 外部空間を構成する建築が、唐突であったり、チグハグであったりすると「不快な景観」として私たちは拒絶する。壁(建物)の高さや色、形などが脈絡なくふぞろいな部屋(外部空間)は、とても居心地が悪く落ち着かない。何らかの統一性があって、文脈が明快であることが求められるのは、内部も外部も同様であろう・・・・・・・・。     
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シエナの広場

建築の内部空間と景観が両方とも、「棲息適地の居心地」という言葉で語れることに驚いている。
(和)

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by trmt-ken | 2016-06-09 15:40 | 現代建築の現在 | Comments(0)
懐かしい建築・新しい建築 モダニズム建築の現在-2
モダニズム建築の現在-2
懐かしい建築・新しい建築

■はじめに
 数年前の本誌(1999年・島根県建築士会々報)に、「モダニズム建築の現在-美しい街は可能か」という文章を書きました。最近の現代建築が細い迷路に入り込んでいる様な気がして、その実態を明らかにしたいと考えました。現代建築の大きな弱点の1つが「美しい街なみをつくれなかった」というところに現われていると感じたからです。編集部から、その続編を書く許可をいただいたので、今後数回にわたって「現代(モダニズム)建築の現在」について論じてみたいと思います。
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古い蔵を改修した店舗(米子市)


■「懐かしさ」ということ

近年、古民家や伝統的な集落の価値が見直され、様々な動きが活発になっている。古い民家の改修や移築を行ない店舗やレストランなどへの再利用、重要伝統的建造物群保存地区指定や、街なみ環境整備事業、景観法の活用などによる集落ごとの保全活動など、ブームと呼んでもよいほどの盛り上がり方である。
 高度成長期の大量生産・大量消費の時代から、右肩下がりの時代への移行、地球環境の持続性への危機感などに裏うちされたこの流れは、今後も益々広まっていくと思われる。
 前稿の「都市デザイン派、復古派、苦悩派、無関心派」という分類によれば、復古派の展開ということになるが、その基本には建築の“懐かしさ”に対する共感や信頼感があるようだ。新建材や機械力に頼った20世紀後半の現代建築に対する違和感や反省から、石・土・木・紙など自然系の素材や、人間の手仕事に支えられた建築の再評価である。
現代建築の冷たさやよそよそしさにはもう耐えられない・・ということなのかも知れない。
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江戸期の古民家の改修(大東町)


■藤森さんの仕事  

 建築の“懐かしさ”や“懐かしい建築”といえば藤森照信さんである。タンポポハウスやニラハウス・・・と続く一連の作品からは「モダニズム建築」に対する批判精神が「これでもか」というほど強烈に伝わってくる。
 もともと藤森さんは建築史の研究者であり評論家である。しかし、藤森さんは建築の設計が大好きでどうしても設計をやりたかった。藤森さんは多くの建築を研究してきたので、普通の人なら批評眼が肥えてしまって、自分の稚拙な作品などとても作る気にはならないし、他人には見せられないと考えるところだ。そこからが藤森さんの偉いところである。「赤派と白派」という理論武装とともに、縄文建築団などという怪しげなチームの活動など入念な舞台装置をたずさえて、作家として世に登場してしまった。恥じらいと自信の両方に支えられて、“堂々と”登場してしまった。拍手喝采である。
 「見たことがないのに懐かしさを感じる建築」という意識が藤森さんの仕事の根っこにあり、「新しくもあり懐かしくもある」という建築の本質にせまる仕事振りである。
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タンポポハウス・木の上の茶室(藤森照信)


■「新しさ」ということ
 新しい建築といえば妹島和世さんである。再春館など若い頃(?)のものから近年のものに至るまで、妹島さんの目指す建築は、「確かに建築ではあるが、決してタテモノではない」というものの様である。「タテモノではなくフンワリした衣類の様な、またシンプルな家具のような雰囲気のものであるが、空間が存在するので、きっとこれは建築に違いない」といった類のものである。
 過去の建築(妹島さんについて語るとついこんな言い方をしてしまうのだが)は、全てタテモノであった。古代から中世、近世・・・と歴史を眺めて見た時、「やっぱりこれらは全てタテモノだなぁ・・・」とため息が出るくらい妹島さんは新しい。

 新しい建築は魅力的であり、新しさを目指すことは本質的な行為の一つである。クラシック建築の大家も、コルビュジェも重源も過去の建築にはあき足らず、次のステップの新しい建築を求めたし、世の人々の共感も得た。この様に建築を志す者が“新しさ”を求めることには道理がある。
しかし、「建築の新しさ」には、実は大きな落し穴があったのではないか。もう少し限定して言えば、「20世紀後半の、建築の新しさへの志向にはとても大きな勘違いや落し穴があった」ということになりそうだ。
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妹島和世


 オリジナリティという言葉がある。
私達が学生のころ、「建築のオリジナリティ」という概念が大切にされ、マネをするという事は何か恥ずかしい事と考えられていた。「今は学生だから、いろいろマネぶとしても、いつかは独創的(!)な建築をつくりたい」と多くの若者達は考えていた。当時の建築界のリーダーは、コルビュジェ、ミース、ライトの弟子の世代であった。彼らは「建築のオリジナリティ」という概念を大切に思っていたが、多くの建築家は「オリジナリティ」にしばられ迷走した。  
勿論、村野藤吾や白井晟一などはみ出す人達もいたし、オリジナリティにこだわりながら立派な建築を設計する人達がいたことも事実ではあるが・・・。しかも時代は高度成長期である。建築技術の進歩を背景にして、日本中に(いや世界中にといってもよい)独創的(!)で、個性豊か(!)な建築が大量に出現してしまったことになる。
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独創的!で個性豊かな!現代建築


 この様にして、20世紀後半の建築の混乱には多くの設計者(建築家)が主体的に関わったのである。

■変わるものと変わらないもの
 建築の「懐かしさ」と「新しさ」について、また現代建築の混乱について思い切って断定してみたのは、この様な吟味の中から何かがはっきり見えてくるのではないかと思ったからである。ここまで文章を書いてみて、それは建築のなかで「変わるべきもの」と「変わってはならないもの」を仕分けてみたいと思ったからではないかと気がついた。
 20世紀後半の約50年間、変わってはならないものまで変えよう・・・として新しさが自己目的化されたのではないか。「建築家の自己表現」などという言葉に代表されるように、新しいことや独創性のみが大切であるという「勘違い」や「落し穴」に陥ったのではないだろうか。例えば、古い街並みや美しい自然環境の中では、特にきわだつ建築や、独創的な建築を目指す必要はなかった。古い街並みや美しい自然環境、建築の利用者こそが主役であり、それらを大切にすることの中から、おのずとほのかに浮かび上がってくるものこそが作者の個性であり、独創性と呼ばれるべきものだったのではないのか。
 人間の生活空間にとって本質的に大事なものは、50年や100年程度の技術の進歩や社会の変化など表層の出来事には左右されないものではないのか。建築の価値とは、ずっとずっと深いところで人間と結びついているはずである。
その様な反省から、近年になってあらためて古い建築や建築の懐かしさが大きく見直されている・・・ということではないかと思われる。
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パンテオン


私達には、「変わらないもの」に対する注意深い視線が求められているようだ
(和)

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by trmt-ken | 2016-06-07 18:47 | 現代建築の現在 | Comments(0)