カテゴリ:現代建築の現在( 25 )
(仮称)松江の都市計画を考える市民の会
1か月前の3月7日(水) スティックビル401号室で(仮称)まつえの都市計画を考える市民の会の第1回集まりがありました。

【開催の趣旨】

先般、松江市定例市議会にて、市街化調整区域と市街化区域の「線引き」の廃止を求める請願・陳情が賛成多数で採択されました。まちづくり対策特別委員会での過去の論議の経過では、
  • 大きな視点からの十分な議論が必要
  • 線引き制度によりインフラ整備がなされたにもかかわらず人口が減少している
  • 線引き廃止により中心市街地がさらなる空洞化をきたした事例がある
など、そのことがもたらす影響の大きさから継続審査となっていました。ところが、今般一転し、議論が尽くされないまま採択された感が否めません。私達は、市議会におけるこのような採択は拙速と考えています。もっと多くの議論を積み重ねたうえでの方向付けが必要と考え、本日の会の開催に至りました。
(仮称)まつえの都市計画を考える市民の会 発起人

大正町の小汀泰久さん、竹矢町の貴谷麻以さん、上乃木の妹尾訓明さんと寺本の4人が発起人です。
近いうちに会の正式名称や事務局が決まります。暫定的に寺本が連絡係です。

松江市の将来像と大きくかかわることです。平成6・7・8の3年間かけて策定した「平成8年度 松江市都市計画マスタープラン」では、

  • 都市の質(クゥオリティ)
  • 経済の停滞・減速への対応
  • 住民参加
などが主なテーマでした。現在も変わらないテーマです。当時、妹尾さんが都市計画課計画係長で都市マスタープランの担当でした。寺本は高橋正訓さん達とともに策定委員を務めました。
松江市は東出雲町や美保関町など旧八束郡と合併し、20万人都市になりましたが、課題は同じです。これまで以上に
  • 市街地中心部は「街の魅力」、農山漁村部は「田舎の魅力」
  • もったいない・もっと丁寧に
  • 地域のことは住民が決定する
という視点を大切に、建築やまちづくりに向かいたいと思っています。(和)


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by trmt-ken | 2013-04-07 07:30 | 現代建築の現在 | Comments(0)
新谷正法を悼む
横浜国立大学建築学科同期・新谷 正法の遺体が羽田に到着した。
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大学を卒業して以来、一度も出会っていない。何年か前、石油プラント大手・株式会社 日揮の副社長に就任したことを友人から聞いていた。株式会社 日揮でどのように仕事をしていたのか…はここ数日の報道で知るばかりである。学生時代、彼は小説を書いていた。親しいわけではなかったが、「もうしばらくは小説を書く。建築はそのあとでやる。」と言っていたことを思い出す。

ここ数年では

  • 大竹 寿之(株式会社 日本設計 副社長)
  • 小宮 和一(商店街コンサルタント事務所主宰)
  • 田中 淡(中国建築史研究者・京都大学教授)
に続き4人目になる。皆、その道を懸命に歩いていたことを私たちは知っている。私たちはいわゆる全共闘世代である。大学4年目のとき、全国的な波の中に「入るしかない」と決意して入り、そしてもろくも地にまみれた。その時の一人一人の状況は異なるが、「重いもの」を背負ったのは皆同じであったろうと思う。

大竹 寿之とはなぜか気が合った。福島 節男と3人共同の卒業研究「横浜・山手地区の景観構成についての考察」を思い出す。あのころの、22・3歳の研究としては上出来であった…、と今でも誇りにしている。大所帯になった株式会社 日本設計の、デザイン意識の良心として、副社長に就任することになったのだろうと推測していた。

1年先輩である小宮 和一は、苦戦している商店街の立て直しに全国を奔走していた。松江に私が居を移してから深く付き合うようになった。松江やその近郊の商店街の再生にかかわらざるを得なくなり、小宮の応援が必要になった。私の頼みに、ことごとく、見事に応えてくれた。

田中 淡は出席簿がタ・テと続くので、1年のとき物理実験が同じ組であった。ひょうひょうとして、物静かであったことを覚えている。京都大学で中国建築史の教授をしている、とうわさで聞いていた。落語が好きだったそうだ。同僚達のブログを読み、中国建築史研究の日本の第一人者であったことを知った。

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by trmt-ken | 2013-01-26 17:25 | 現代建築の現在 | Comments(0)
漂うモダニズムを読みました(モダニズム建築の現在―4)
拝啓
槇 文彦 様

古代出雲歴史博物館の竣工式にいらっしゃったときお会いして以来、OB会にも出席できず御無沙汰しております。「新建築9月号」の『漂うモダニズム』という論考を拝見し、どうしてもお手紙を差し上げたいと思いました。建築と言語を対比して論じていらっしゃる事に感銘を受けたからです。

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古代出雲歴史博物館
12〜3年前から、島根県建築士会の会報誌に「モダニズム建築の現在」という拙文を連載していまして、地方都市やその周辺に顕著な「現代建築と風景の混乱」について考えたり論じたりしています。第4回目の原稿「処方箋はあるのか」を書いているときに、新建築を拝見致しました。

私はいわゆる全共闘世代です。学生時代の後半、大学と社会の関係、建築と人間の関係、建築や文学の「表現」などについて、混乱しながらも思考を組み立てることの必要性に遭遇しました。その過程で、私の建築や都市に対する興味の中心には、「風景というもの」があるということに気付きました。一方、その様な思考を組み立てる「言語というもの」にも強い興味を抱いておりました。風景と言語は、「私にとって興味深い」という共通点はあるものの、両者は別の世界であり、一方が片方を代弁することはできない…などと考えつつも、両者の関係が気になっていました。言語表現に関する難解な著作の「指示表出と自己表出」という概念と、建築の「機能と美」とを対置して考え、建築を行なう上でのヒントを求めたりしていました。

当時のメモに、「眼には眼を、歯には歯を…という論理からすれば、言葉には言葉を、風景には風景を…という問題なのであろうが、樵の倅であってみれば、言葉と風景の関係が気になったとしても致し方あるまい…」などと記し、そこで思考は止まっておりました。

「漂うモダニズム」が、言語と建築の考察からはじまっていることに思わずうなってしまいました。

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立正大学熊谷校舎

私が槇さんの事務所にお世話になったきっかけは、立正大学熊谷校舎を拝見したからです。建築雑誌を読み熊谷校舎を見学して、私の就職先はここしかない…と勝手に決めてしまいました。
キャンパスの広場や建築の中を歩くとともに、解説の「軸、系、アイストップ、シークエンス…」などを読み、今から思い出してみますに、「風景を構想し、空間をデザインする」という建築に、学生の私が本能的に反応した…ということだったのでしょうか。
槇事務所で教わった「建築と都市を同じ眼差しで扱う」という姿勢は、その後の私の基本姿勢となりました。退社後も、お会いするたびに「おみやげ」をいただきました。松江市都市デザイン委員会の基調講演の時には、「ユニヴァーサリティ」についてお聞きすることが出来ました。「空間の居心地・ここちよい景観」という拙文の中で引用させていただきました。

ユニヴァーサリティ

「歴史性や地域性を超えた空間の普遍性(ユニヴァーサリティ)とは、人間の動物的本能に根ざしたものを指す…」という説であり、以前槇さんから説明を伺った時は文字どおり目からウロコであった。姿かたちや材料がどうあれ、また洋の東西や新旧を問わず、優れた建築や素晴らしい空間には私たち誰もが感動する。この「誰もが」ということはどうしてだろうか?という疑問に対し、「現代の日本人も、大昔のアフリカ人も、中世のヨーロッパ人もそう大きな違いはない。なぜなら、みな人間だから」という説である。
その後、古代出雲歴史博物館の仕事でいらっしゃったときには、街区形成型居住システムと内山節著の「里の思想」についてお聞きしました。
東京のような地価の高いところでは難しいが、松江であれば街区形成型居住の成立は可能性が高いのではないか?ロの字でなくともコの字やニの字でもよいんだが…ということでした。

松江駅通りの都市計画道路拡幅に伴なう再開発事業で、ニの字の集合住宅が一応完成しました。友人からは「松江の中でここだけが代官山だね」などと冷やかされていますが、「いや、そうではない。普通に造ったら自然とこうなった」と答えています。

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代官山ヒルサイドテラス

最近、こんな本を読んでいるが面白いですよ…とカバンの中から取り出されたのが、内山節著の「里の思想」でした。松江の中心部を二分して流れる大橋川の治水問題に関連して、河川工学者の大熊孝氏の本を読んでいるころでした。大熊氏と内山氏はもう一人の方と「3人委員会」なるものを作り、主に近代が置き去りにした治水技術や里の共同体などについて、見つめ直す活動をしている人達でした。内山氏については、大熊氏の著書の解説者と記憶していましたが、槇さんが「都市の思想」ではなく「里の思想」なる本を取り出されたのです。

「モダニズム建築の現在(第4回)処方箋はあるか」の構成は以下のように考えていました。
1999年に「美しい街は可能か」という文章を書いてから10年以上経ちました。前回の「空間の居心地、ここちよい景観」からも数年経ってしまいました。「現代建築がどうもおかしい、どうしてこんなことになってしまったのだろう」という思いがあり、わたしたちの現代建築は今どこにいるのだろうか、ということを少しでも明らかにしたいと考え、原稿を書き始めました。
  • 第1回 美しい街は可能か      (1999年)
  • 第2回 懐かしい建築・新しい建築  (2008年)
  • 第3回 空間の居心地・ここちよい景観(2010年)
このペースだと、現代建築やその集合体の混乱についての考察は、いったいいつになったら書き終えるのだろうか…?と心配でしたが、今回は一足飛びに「その処方箋はあるのか」について論じてみることにしました。
  1. 枠組みについて
  2. 表現意識について
  3. 現代建築の到達点
  4. 創ることと論ずること(終わりに)

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現代建築や風景の混乱

ですが、もう一度その構成を考えなおしたくなりました。
松江に住んで30年になります。この街やその周辺の風景・建築がなんとかならないかと思案してきましたが、ちから足りずなかなかうまくいかない…というのが実感です。新建築の論考を読ませていただき、「まだまだ諦めるわけにはいかない」と、読後の歓びの中を漂っております。
この地の様子について、またご報告のできる日が来ることを念じています。

敬具
寺本 和雄

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by trmt-ken | 2012-10-11 18:10 | 現代建築の現在 | Comments(0)
漂うモダニズム―槇文彦によせて
「新建築9月号」に槇文彦先生が、長文のエッセイを寄稿されています。寺本は、まるで自分に宛てられた手紙のように受けとめて、必死に返事を書いています。いつもは「吾輩」は偉いと思っている人が、「浅学非才の身で」とかしこまっているのがすごくおかしいです。

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御夫妻で来松の時のスナップ

タイトルは「漂うモダニズム」。…漂い、立ち止まり、羽を休め、再び飛び立とうとする文章、後には思いがけない種を落とし、次世代に思いがけない植物が芽を吹くかもしれない文章。読み手が自らの様々な思いに浸り、読むことに喜びと幸せを感じました。

槇先生は松江・出雲には何度も見え、お供をしました。新しいディテールのきっかけ、興味を持っている本、松江の都市デザインへのアドバイスなど、数人で伺うにはもったいないような話しが続出しました。

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by trmt-ken | 2012-10-08 22:30 | 現代建築の現在 | Comments(0)
ペーター・ツムトーアの建築
ペーター・ツムトーア(ピーター・ズントー)はとてもよいですね。歴史性・地域性と現代(モダン)を同じ手つき、同じ眼差しで扱うことの出来る数少ない建築家だと思います。

グガルン・ハウス

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©felipe camus flickr.comより

ブレゲンツの美術館

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(和)

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by trmt-ken | 2009-12-11 16:45 | 現代建築の現在 | Comments(0)