カテゴリ:読書日記( 16 )
『ある家族の会話』―ナタリア・ギンスブルグを読む
須賀敦子さんに導かれて、ナタリア・ギンスブルグの家族に出会う本。
のっけから、個性の強い両親の言動に笑い転げる。明るい調子なのに、しかし時代は重苦しい。家族の誰彼が投獄されている警察に差し入れに行くのを楽しんでいるかのような母親がいて、投獄されて初めて一人前とみなされるメンタリティの共有と絆。そして夫は獄死する。悲しみが悲しいと語られぬ余白。須賀さんにも重なる余白。

オリベッティ社は、スカルパのデザインで知っていたが、縁戚でもあり、窮地に手を差し伸べる友人であった。
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プルーストが、影のようにまとわりつく。父は嫌い。母は好き。思えば、図書館のようであった私の実家で、なぜかプルーストは1巻しかなかった。長年の疑問で、ある時父に聞いたことがある。答えは「退廃的で好みに合わなくてやめた」。フランスの友人も同じことを言った。「あなた、プルーストが好きなの。あんな退廃的なものを」。

サガンは、あれほど切れのいい文章なのに、冒頭はえらく持って廻って手さぐりに見える。ああ、この人はプルースト好みだ...。私は好き。すごいと思う。書かれている事実のかなたに文学の枠組みが飛び出している。音楽や絵画でやるようなことを言葉で構築している。それも音や色という抽象的なものでなく、それ自身歴史とイメージをかかえた言葉をつかって。

建築にもそういうことがありうるのではないか。そのことが予感としてずっとある。法規やら予算やらにアップアップしながらの現実のなかで、寿命も才能もあまりに限られているが。夢見る予算の上限はない。
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病気の時の楽しみのために買い揃えてある仏語版。いつそれほどの大病になる予定? 90歳の水泳マスターズと同種で。いつか。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-03-05 18:37 | 読書日記 | Comments(0)
高村薫「空海」を読む
宗教にかかわる事件が世界をゆるがす今、空海という存在に切り込むという試みに刺激されて、高村薫の「空海」を読んだ。全体像をとらえるという入門としてはわかるが、未消化部分も残った。というのも、字は人格を現すと言われ、これほど書が残されているのに、この一級資料の書への言及がほとんどみられないことである。
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唐にようやっとたどり着いたとき、しばらく一行が捨て置かれ、空海の上申書によりようやく都へ上京許可が降りたというエピソード…空海の文面を見て、中国の役人が目をむかぬはずがないと私は思う。字がまずくても立派な人はいるかもしれない。だが逆はありえない。教養・才能あふれかえっている圧倒的な力を空海の書は持っている。

かって少し書を学んだ時、一字につき先人の12種類の字を集める課題が出た。日本人の中で空海の文字は抜きんでていて、目が吸い寄せられた。文字の中に呼吸があり、一緒に息をし、動いている感じがした。密教とこの感覚はどうつながっているのかを切に知りたい。若き日の空海は室戸で明星が体内に入ってくる体験をしたという・・そこにつながるのだろうか。

もう一点。自署はどんなだっただろうと、探してみた。多くの「海」は「毎に水」と書かれ、他の文字に比べてひかえめで、恥ずかしげに見える。かほど文字はいろいろなことを想起させる。揮毫するには勇気がいる。高村薫の愛読者としてあえて苦言を申します。「続」が待たれます。
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風信帖「書道芸術:中央公論社第12巻より」-中央部分に小さめに空毎水とある。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-02-21 22:17 | 読書日記 | Comments(0)
干柿のすだれ
小学校の担任の先生が、毎朝本のお話しをしてくださった。クオレ、里見八犬伝、吾輩は猫である、などなど。一日で一番楽しい時間。その面白い本が、家に帰ってみると一番上席のガラスの本棚におさまっていて、しかしルビがふってあって、小学生にも読める本であった。漱石さんはじめまして。大人の世界ってこんなに面白くていいのかな。
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mintさんの猫
「猫」は中学生の時も、高校生の時も何度も読み返した。中でも最も好きなのは、寒月君(寺田寅彦モデル)がらみの場面。田舎でバイオリンを買うのに難渋するところ。西日のかんかんした柿の玉すだれに悶え苦しむところ。この可笑しさは落語ではないか。西欧文学と江戸前文学の要にいると思う。
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古江の柿すだれ
「柿食えば」の子規は「猫」出版の前に没しているけれど、親友の傑作を読んだならば、このあたりで笑い転げただろうか。
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 柿ばかりでなく、山里に干し藁、蒔などが冬を待つ。柿も大根もお日様や時間と相性がいい。
(礼)

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by trmt-ken | 2015-11-09 18:26 | 読書日記 | Comments(0)
2人の敬愛する先達
志村ふくみさんと須賀敦子さんの本は、愛蔵して折にふれてとりだしてみる。
志村さんは文章や着物はもちろん、お年を召した姿の稀有な美しさ。手をつかい頭も使い、感覚を研ぎ澄まし、そのうえ自然の精気を呼吸しておられるのだろう。

須賀さんには敬愛とともに親近感がある。パリからイタリアに着いた時の開放感のくだり、ほんとにほんとに。いつもスケッチブックを携えていたけれど、イタリアに入ったら、絵を描く時間さえまだるっこしくなるほど夢中になって歩き回った。細胞の一つ一つがプチプチはじける感じ。パリではフランス語での講義に難儀していたのに、イタリアに行ったら言葉なんかどうでもよくなって。
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写真はVeronaのCastel Vecchio Museum(Carlo Scarpa)
パリからイタリアへ向かう食堂車では、素敵なマダムと同席になった。デザートのリンゴをナイフとフォークで、エレガントに召し上がった。その後私も家で練習してみたが、なかなか上達しなかった。また、イタリアへいきたい。今度は箸を持っていこうかな。
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写真同上:遺跡と現代が付かず離れずの距離にて2重奏。
それから、父上より勧められたという森鴎外の「渋江抽斎」。それまでの森鴎外のどこか鬱屈した女性像への違和感を払拭した一番好きな著作。五百(いお)が主人公ではないかしら。そして父上からの須賀さんへの応援歌では。
志村さんと須賀さんの話から、とりとめもなく思い出が紡がれる。自然の力を頂いて。志村さんの文章からは香りがし、須賀さんの文章からは響きが聞こえる。
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写真同上Veronaにて。ギャラリーに上がるミニマム階段。動きの一粒一粒が、アートか演劇のようで。人もそれになりきって、言葉さえも歌うように。(礼)
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by trmt-ken | 2015-11-06 10:28 | 読書日記 | Comments(0)
本好きの本棚
私の最初の設計は本棚でした。
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中学生の頃です。有り合わせの本棚に詰め込まれたり、押し入れに新聞紙にくるまれているものや、足の踏み場もない量の本で、一部屋全部図書室のようにしました。新宿の紀伊国屋(前川國男設計)の本棚のようにダークな色にして、その部屋が隠れ家みたいな部屋でありました。本を捨てられないのは遺伝的病です。
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天井までの本棚は引っ越しの時に危険なので、上下分解して地下室に搬入。
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このたび、魅力的な本屋さんDOORbookstoreを一部改修することになり、本棚を作れそうでうれしくてたまらない。自宅には東京の父の残した本を引き取るための本棚もつくりたい。
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DOOR-bookstore 米田由美子さんの作品のあるコンクリートブロックの壁
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Door中庭の円形庇
本が建物以上に家そのもののような気がするのはなぜだろう。時空を超えて著者と訳者と父と対話しているからだろうか。松江に住んで30年、幾分かの空白をはさんで実家にいた年月をこえているのだけれど、いまだに夢に見るのは本に埋まった東京の家です。
(礼)

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by trmt-ken | 2015-04-27 17:55 | 読書日記 | Comments(0)
吉本隆明を悼む
コンクリートブロックの自宅本棚には、2冊ずつ並んでいる本がある。吉本隆明の著書と二川幸夫の写真集「世界の村と街」シリーズ。学生時代に寺本、有光それぞれが寂しい財布から買った本なので、何度引越ししても棄てられずに共に居る。

二川さんの写真集からは、建築が風土とともにあってこそという事実を学んだ。作為などふっとんでしまうような、自然の意匠。そして、内と外が逆転する図面の新鮮さ。

吉本からは、この人は裏切らない、支配する側ではないこちら側にいる人だと言う信頼感。…ただ、内容をどれほど理解していたかについては自信がない。…寺本は吉本論を建築カフェで話したいと言っております。次回第12回、時期未定。これはどうしてもお酒が必要です。
(礼)

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by trmt-ken | 2012-04-01 16:30 | 読書日記 | Comments(0)