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カテゴリ:読書日記( 22 )
犀の角のように、一人歩め
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いろいろな場面・切り口を述べながら、「犀の角のようにただ一人歩め。」と結ぶ。繰り返すこと40回。
内容を超えて呼吸のように、ただひとり歩め、と。先行する文との関連はほぼない。それなのに切々と響くものがある。ほとんど音楽のように。寄せる波のように。(スッタニパータ「第一蛇の章3」犀の角)

一方で、恒河沙よりも多くの・・という繰り返しもある。(金剛般若経)「ガンジス川の砂の数よりも多く‥」一から無数までに広がる世界。

思えば、犀の角にせよ、考える葦にせよ、全く論理的ではない。なので得心する。今に語り伝えられたのは、得心する人が一人ではなかった証しであろう。

古い友人から突然電話がかかった。何事かと思ったら、夜の横浜で、変貌する街で河口に波が寄せるのを見ていて突然電話したくなったとのこと。お互い貧乏で、でも「ただ一人歩め」と言おうか。
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(礼)

by trmt-ken | 2019-02-03 16:04 | 読書日記 | Comments(0)
東京の地霊(ゲニウス・ロキ)-鈴木博之⁻を読む
鈴木博之の名前はあちこちでお目にかかったが、本としては初めて。もっと早くに読むべきであった。
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1990年に単行本として刊行され、1998年・文春文庫版化された。解説は藤森照信、次いで2009年・ちくま学芸文庫版解説は石山修武による。芸達者なご両人がそれぞれ生き生きと鈴木を語る。藤森は・・・「明るく高く晴れた知性の空間に湿りを帯びて重い空間がにわかに吹き込み始めたような印象。・・・そしてこの本が刊行されたのだった。」と語る。(でも本心を言えば、本場もんは自分だからね。)

石山曰、鈴木のいう通り、東京は地霊に満ちているのである。この書物は都市という総合体を眺める歴史の股眼鏡のようなものだ。・・・「ミースの設計したシーグラムビルは、ニューヨークの地霊がなした表現である。」という論を間に李祖原(中国人建築家)との緊迫したやりとり。そして墓地らしきものに異常な関心を寄せているという。

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自らの記憶をたどっても、恵比寿・代官山・渋谷のあたり、茗荷谷・護国寺のあたり、目黒・深沢のあたり、すべて起伏が多く坂道だらけ、土地固有の密度が漂っていた。建物よりも土地の起伏の印象がまさる。上野も、根岸も赤坂も・青山も・六本木も。地下鉄に乗ると高低差がマヒして本能がデジタル空間に宙ぶらりんになる。

飯田喜四郎先生のあと犬山市明治村の館長を引き受けられ、間もなく2014年に亡くなる。惜しい方であった。建築そのものが保存しにくい我が国にあって、歴史を伝えるとはどういうことか、活かすとはどういう事か、考えるべき時だと思う。2020年に向けて開発の進む今特に。ミースへの鋭い考察をみるにつけ、墓地への考察を読みたかった。あの世での座り方は虚空ではなく、かえって地面に近いのではないか。

なお、この本は森口保さんの残された蔵書の一冊。本のそれぞれに書評の切り抜きが挟まれていて、当時の鈴木さんの写真も若い。人と時間の重ね合わせを見る。(礼)

by trmt-ken | 2019-01-03 17:17 | 読書日記 | Comments(0)
サリンジャー「The Catcher in the Rye]
読書欄に桜庭一樹の「ライ麦畑でつかまえて」評があった。コクトーについてと同様、こういう読み方ができるのか、と新鮮な感動を覚えた。
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従軍の後遺症があったとのこと。言葉が崩れて、病んでるな…という印象。しかし主人公には救いがあった。けなげな「妹」。なんだか寅さんとさくらみたい。その関係が泣けた。自分に重ねて。

小さい頃から反抗心の塊で、全身ハリネズミ少女であったが、絶対的に受け止めてもらえるよりどころがあった。それが姉。そのことを幸せだったと思うこの頃。同時に、そうでなかったらどうなったろう…とも思うのだ。
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崖から落ちそうな子供をキャッチする…という仕事・・・なんと荒唐無稽な。そして、そこにものを書くという職業の切なさを想う。
meet in the ryeがcatch in the ryeに横滑り、貸したセーターを着た少年が墜落死して、赤いハンチング、ぐるぐる回る回転木馬。(礼)


読書日記
書評の放つ光「水の匂いがするようだ」井伏鱒二のほうへ- 2018.1013
自分勝手な保険を掛けるー武満徹著作集-2018.0521
ジャン・コクトーのこと 2018.0211
「吉本隆明1868」鹿島茂-重なりにみえてくるもの 20180203
すぐに眠くなるおまじない⁻聖ベネディクトの戒律 2018.0124
文字に刻む音-蘇東坡によせて 2017.1121
息(いぎ)をするように 2017.0718
猫いよいよ佳境に入る 2017.0203
裏返された座布団-catside down 2016.0716
猫とその後 2016.0616

 2016.0326
「ある家族の会話」ナタリア・ギンスブルグを読む 2016.0326
高村薫「空海」を読む 2016.0221
干柿のすだれ 2015.1109
2人の敬愛する先達 2015.1106
本好きの本棚 2015.0427
吉本隆明を悼む 2012.0401


by trmt-ken | 2018-12-16 21:19 | 読書日記 | Comments(0)
美と宗教の発見-梅原猛-
梅原猛「美と宗教の発見」を読む。今までに何冊か梅原氏の著作には触れていて、影響も受けて来たが、こんなに挑戦的な論文集は初めて。
鈴木大拙、和辻哲郎、正岡子規という正統派に次々と切り込む捨て身の論法。それでも本人は吉本隆明ほど無謀ではない!とおっしゃる。そうかなあ。

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鈴木大拙の魅力について語り、一転して不足について語る。禅へのえこひいきが過ぎると。
中世があまりに無視されている、仏教がきちんと学ばれてこなかった。・・・たしかに、空海は偉かった、字がうまかったなどとは学ぶが、中身、その哲学についてはほとんど問題にしてこなかったような気がする。廻りをなでているだけ。

この本は、敬愛する先達・森口保さんの遺品にあった1冊。印と日付があり、何か所かの傍線と書き込みがあった。森口さんの思い出とともに読了。温厚な森口さんの一面に触れたようで、「 伴読」する喜びを知る。森口さんの守備範囲は広く、建築・土木から、デザイン、郷土史、文化論、パズル、その他もろもろに及び、今後何度病気になっても本に困ることはないだろう。改めてご冥福を祈ります。(礼)

読書日記
「黒い雨」再読 2018.1208
書評の放つ光「水の匂いがするようだ」井伏鱒二のほうへ- 2018.1013
自分勝手な保険を掛けるー武満徹著作集-2018.0521
ジャン・コクトーのこと 2018.0211
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すぐに眠くなるおまじない⁻聖ベネディクトの戒律 2018.0124
文字に刻む音-蘇東坡によせて 2017.1121

 2017.0718
猫いよいよ佳境に入る 2017.0203

-catside down 2016.0716
猫とその後 2016.0616
たどたどしい言葉で 2016.0326
「ある家族の会話」ナタリア・ギンスブルグを読む 2016.0326
高村薫「空海」を読む 2016.0221
干柿のすだれ 2015.1109
2人の敬愛する先達 2015.1106
本好きの本棚 2015.0427
吉本隆明を悼む 2012.0401

by trmt-ken | 2018-12-09 20:54 | 読書日記 | Comments(0)
「黒い雨」再読
井伏鱒二の「黒い雨」を再読する。そして再び、これはすごい本だと思う。
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印象に残る人物像がある。ひどい悪臭を放つ上品な女性…本人も自分が匂うことを知っている。死に逝く人を看取り続け、ナイチンゲールと慕われ、その代償として。また、素人でありながら弔いを命じられ、僧侶の真似事をせねばならなくなった時、臥せっていた老和尚がしゃんとしてお経を伝授する。はじめは死者のために、最後の「白骨のお文章」は残された者へ。記録は話者のみでなく、妻の日常の覚書や姪の日記など視点を変えながら、また時間も前後しながら淡々と語りつがれる。

桃と生卵で生きながらえた人がいる。徒長する植物がある。不思議な死に方をする魚がいる。…研究者のような細部の表現は静物画をみるようだ。叫びであったならば、読み続けられないだろう。ユーモアさえ感じさせる抑制が、最後まで読ませる。静かで粘り強い奇跡のような文学である。(礼)

読書日記
書評の放つ光「水の匂いがするようだ」井伏鱒二のほうへ- 2018.1013
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本好きの本棚 2015.0427
吉本隆明を悼む 2012.0401

by trmt-ken | 2018-12-08 21:09 | 読書日記 | Comments(0)
書評の放つ光「水の匂いがするようだ」
書評自体が強くメッセージを発していることがある。井伏鱒二論を書いた野崎歓、その「水の匂いがするようだ-井伏鱒二の方へ-」の書評を書いた佐伯一麦。その3人の心模様の重なりに揺すぶられる。前にも高村光太郎/吉本隆明/鹿島茂の重ね合わせに批評の切結び方を見たのだったが。
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副題に「井伏鱒二のほうへ」としたときにすでに、著者が仏文の世界の人だな、プルースト好きだな、と直観する。そして、ドリトル先生とともに子供時代を過ごした人だろうなと。

個人的な体験を言えば、井伏鱒二ほど声に出して繰り返し読んだ本はない。娘が幼子であった頃、本当にドリトル先生が好きで、毎晩毎晩ドリトル先生の冒険談をせがんだのだった。1冊で終わればいい方で、目をぱっちり開けてなかなか眠らなかった。2年間だろうか、3年間だろうか、自分で読めるようになるまで。本当に翻訳の域を超えていたと思う。「そうさな…」という口癖がよみがえる。そして幼児に哲学者のような言葉を吐かせる。「みじかいおはなしは、おもしろくない!」
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注文すると次の日には本が届いた。カバー・表紙・見返し・扉と連続する紙の諧調の微妙な重なり、控えめに泳ぐ文字など装丁も香り高く、ずっとそばに置きたい本。
10巻を超すドリトル先生シリーズが少年少女文学全集としてずらり並んでいる国は稀だそうな。まことに井伏鱒二という翻訳者を得て日本の子供たちは幸せである。(礼)

読書日記
2018.1013 書評の放つ光「水の匂いがするようだ」
2018.0521 自分勝手な保険をかける⁻武満徹全集
2018.0211 ジャン・コクトーのこと


2018.0124 すぐに眠くなるおまじない
2017.1121 文字に刻む音⁻蘇東坡によせて-
2017.0718 息(いぎ)をするように
2017.0203 猫いよいよ佳境に入る
2016.0716 裏返された座布団-catside down-
2016.0616 猫とその後
2016.0326 たどたどしい言葉で


2016.0305 ナタリア・ギンスブルグを読む

2016.0221 高村薫「空海」を読む
2015.1109 干し柿のすだれ
2015.1106 2人の敬愛する先達
2015.0427 本好きの本棚
2012.0401 吉本隆明を悼む

by trmt-ken | 2018-10-13 14:54 | 読書日記 | Comments(0)
自分勝手な保険をかける
手前勝手な保険をかけている。病気になった時に読む本を貯めること。
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貧乏症なので、全くの健康時に3・4日かかる本を読むのはなぜか気が引ける。少し痛い所があったり、熱っぽい時にごろごろして、食事もとらずに本に包まれているのがいい。痛みすら甘美に思える。ここ数日その至福の時を過ごした。お付き合いいただいたのは武満徹。作曲家は数学者に似て近寄りがたかったが、武満氏は特別な音楽教育は受けず独学とのこと‥‥初めの一歩から度肝を抜かれる。

西洋と東洋の2項対立でなく、バリ島やアフリカや、思考の成り立ちからちがう音の風土に‥‥うなる(痛みも忘れて)。そしてフィールドワーク中の文化人類学者・川田順三と交わされた豊穣な往復書簡。アフリカとパリと日本を行き来する書簡の書かれた時は、くしくも、私がパリで苦闘していた時に重なる。フィールドノートに場所と日付けを記していたことが今、有難い。
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第5巻の詳細な年譜にはパリ公演の記録もあった。1978年10月17日ソルボンヌの礼拝堂における「比叡山延暦寺の声明」公演。その時、武満徹氏は中央のドームの柱の角に、間をおいて響く鐘の余韻の中におられた。音は振動として感じられた。時空そのもののような。

なぜか僧侶も楽器も思い出さない。音楽家のひっそり頬杖をついた姿のみ記憶のスポットライトの中に残る。
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簡易に持ち運べない音、抽象でなく存在としての音を求めた軌跡。延暦寺の木造伽藍と集中式プランの石のドームの空間では全く別の響きだったはずだ。

さて、次の病気の時はなんとしよう。(礼)

by trmt-ken | 2018-05-21 21:43 | 読書日記 | Comments(0)
ジャン・コクトーのこと
本日の読書欄に、コクトーの「恐るべき子供たち-アンファン・テリブル-」のことが載っており、あっと思った。不可解さ、それにも関わらず透明な哀しさに満ち、不思議な余韻がある。なぜだろうと、ずっと疑問だった・・・。20歳の親友ラディゲを亡くし、コクトー自身アヘン中毒に、そして2度目の入院中に書かれたのがこの小説とか。死者へのラブレターか。
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コクトーによる表紙絵(1958年ポケット版):外と中が裏返った世界。そして、なぜか左が姉、右が弟、合体して怪物となる。
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書かれた内容が問題ではない。筋などもうどうでもよい。ただ、こうした切々とした感覚を生み出せるというのが文学の本質かと思う。そして、心に引っかかる物語が、なぜか夭折した人へのメッセージのように書かれていることがままある。あるいは、その人を書き留めておきたいという願い。そうしないと本当に消えてしまうという思い。それが切ない。

大人にならないピーター・パン。陰に亡くなった少年の面影。
そして、モンテーニュの-随想録エセ-。夭折した友ラ・ボエシーとの生涯をかけた魂の交感とも読める。
( 礼)

by trmt-ken | 2018-02-11 21:28 | 読書日記 | Comments(0)
「吉本隆明1968」鹿島茂-重なりにみえてくるもの-
批評とは自分をさらすしんどい仕事だ。

高村光太郎の詩をまな板に載せる吉本隆明、その吉本を読み解く鹿島茂。それぞれの出生・思想に絡めながら、批評そのものが対話であり自己表出となる。高村・吉本・鹿島の重ね合わせが輻輳していく過程は、3重奏にも似て一つの文学の形式になっているように思う。

渋江抽斎を書いた鴎外は、きっと「吾輩は猫である」の漱石を愛していたに違いない。表向きは対照的でも、奇天烈な面々が出没する知識人家庭の日常は奇妙に通底している。「抽斎」を読んでいる間中、私の内部では抽斎・鴎外・漱石が重なり合ってこだましていた。・・・小説しかり。

ナタリア・ギンスブルグの「ある家族の会話」を須賀敦子さんが訳出しようと決めたとき、個性豊かな家族に深く共感したのだろう。中でも頑固なナタリアの父と、「渋江抽斎」を勧めた須賀さんの父上。須賀敦子さんが訳したのでなかったら、私も手に取らなかったかもしれない・・・翻訳しかり。自己表出が控えられているにせよにじみ出てくるものがある。そうした重ね合わせが、自らの内部と呼応するときが本を読むよろこび。無口であったわが父親を思い出しながら。

本を整理していたら同じ本が3冊出てきた。吉本の「擬制の終焉」。寺本のと、私のと、父のと。1968年はそういう時代だった。
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安部宏「ワイングラス」で生じた干渉

そして翻って、ものの世界でも、自分の内部と共振する何かをみつけると、凍り付いて、そしておずおずと手をのばしたくなる。ほとんど触覚。それが会話。(礼)
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白井晟一「阿難」
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父の蔵書に自分のと同じものを見つけた

読書日記

2018.0203「吉本隆明1968」鹿島茂-重なりにみえてくるもの

2018.0124すぐに眠くなるおまじない「聖ベネディクトの戒律」

2017.1121文字に刻む音-蘇東坡によせて

2017.0718息(いぎ)をするように

2017.0203猫いよいよ佳境に入る

2016.0716裏返された座布団-catside down-

2016.0616.猫その後

2016.0326たどたどしい言葉で「ライムギ畑でつかまえて」

2016.0305


2016.0221高村薫「空海」を読む

2015.1109干し柿のすだれ

2015.1106

2015.0427本好きの本棚

2012.0401吉本隆明を悼む


by trmt-ken | 2018-02-03 18:15 | 読書日記 | Comments(0)
すぐに眠くなるおまじない
枕元にうず高く本を積んでいる。なるべく難しげな哲学や宗教の本など。たいていすぐに眠れるが、一方眠りの中まで深く心に残ることもある。そんな一冊。DOOR さんにて入手した「聖ベネディクトの戒律」。
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まず、造本がいい。活字が典雅で数字まで美しい。印刷・製本は精興社。やっぱり。ざわざわした本に囲まれていると気持ちがあれる。置いてあるだけ、背表紙だけ、枕元にあるだけでも安らぐ本がいい。

そして内容。ローマ時代までの市民や貴族の文化は、実は奴隷制度の労働に支えられていた。その「労働」を喜びとして、また信仰へ至る道としてとらえ直した。それは大変な改革といえる。

今の時代にも言える真実ではないか。喜びを持って仕事をしているか。弱い立場の人に、過酷な仕事を押し付けてはいないか。おいしい所だけを味わおうとすると、見えないところで病みはじめる。
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戒律写本(オックスフォード写本ハットン48:8世紀)

ところで、DOOR の店主高橋香苗さんは、だれがどのような本を買っていったかを覚えておられるようなのだ。恐るべし。

(礼)

by trmt-ken | 2018-01-24 13:27 | 読書日記 | Comments(0)