カテゴリ:読書日記( 15 )
ジャン・コクトーのこと
本日の読書欄に、コクトーの「恐るべき子供たち-アンファン・テリブル-」のことが載っており、あっと思った。不可解さ、それにも関わらず透明な哀しさに満ち、不思議な余韻がある。なぜだろうと、ずっと疑問だった・・・。20歳の親友ラディゲを亡くし、コクトー自身アヘン中毒に、そして2度目の入院中に書かれたのがこの小説とか。死者へのラブレターか。
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書かれた内容が問題ではない。筋などもうどうでもよい。ただ、こうした切々とした感覚を生み出せるというのが文学の本質かと思う。そして、心に引っかかる物語が、なぜか夭折した人へのメッセージのように書かれていることがままある。あるいは、その人を書き留めておきたいという願い。そうしないと本当に消えてしまうという思い。それが切ない。

大人にならないピーター・パン。陰に亡くなった少年の面影。
そして、モンテーニュの-随想録エセ-。夭折した友ラ・ボエシーとの生涯をかけた魂の交感とも読める。
( 礼)

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by trmt-ken | 2018-02-11 21:28 | 読書日記 | Comments(0)
「吉本隆明1968」鹿島茂-重なりにみえてくるもの-
批評とは自分をさらすしんどい仕事だ。

高村光太郎の詩をまな板に載せる吉本隆明、その吉本を読み解く鹿島茂。それぞれの出生・思想に絡めながら、批評そのものが対話であり自己表出となる。高村・吉本・鹿島の重ね合わせが輻輳していく過程は、3重奏にも似て一つの文学の形式になっているように思う。

渋江抽斎を書いた鴎外は、きっと「吾輩は猫である」の漱石を愛していたに違いない。表向きは対照的でも、奇天烈な面々が出没する知識人家庭の日常は奇妙に通底している。「抽斎」を読んでいる間中、私の内部では抽斎・鴎外・漱石が重なり合ってこだましていた。・・・小説しかり。

ナタリア・ギンスブルグの「ある家族の会話」を須賀敦子さんが訳出しようと決めたとき、個性豊かな家族に深く共感したのだろう。中でも頑固なナタリアの父と、「渋江抽斎」を勧めた須賀さんの父上。須賀敦子さんが訳したのでなかったら、私も手に取らなかったかもしれない・・・翻訳しかり。自己表出が控えられているにせよにじみ出てくるものがある。そうした重ね合わせが、自らの内部と呼応するときが本を読むよろこび。無口であったわが父親を思い出しながら。

本を整理していたら同じ本が3冊出てきた。吉本の「擬制の終焉」。寺本のと、私のと、父のと。1968年はそういう時代だった。
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安部宏「ワイングラス」で生じた干渉

そして翻って、ものの世界でも、自分の内部と共振する何かをみつけると、凍り付いて、そしておずおずと手をのばしたくなる。ほとんど触覚。それが会話。(礼)
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白井晟一「阿難」
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父の蔵書に自分のと同じものを見つけた

読書日記

2018.0203「吉本隆明1968」鹿島茂-重なりにみえてくるもの

2018.0124すぐに眠くなるおまじない「聖ベネディクトの戒律」

2017.1121文字に刻む音-蘇東坡によせて

2017.0718息(いぎ)をするように

2017.0203猫いよいよ佳境に入る

2016.0716裏返された座布団-catside down-

2016.0616.猫その後

2016.0326たどたどしい言葉で「ライムギ畑でつかまえて」

2016.0305


2016.0221高村薫「空海」を読む

2015.1109干し柿のすだれ

2015.1106

2015.0427本好きの本棚

2012.0401吉本隆明を悼む


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by trmt-ken | 2018-02-03 18:15 | 読書日記 | Comments(0)
すぐに眠くなるおまじない
枕元にうず高く本を積んでいる。なるべく難しげな哲学や宗教の本など。たいていすぐに眠れるが、一方眠りの中まで深く心に残ることもある。そんな一冊。DOOR さんにて入手した「聖ベネディクトの戒律」。
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まず、造本がいい。活字が典雅で数字まで美しい。印刷・製本は精興社。やっぱり。ざわざわした本に囲まれていると気持ちがあれる。置いてあるだけ、背表紙だけ、枕元にあるだけでも安らぐ本がいい。

そして内容。ローマ時代までの市民や貴族の文化は、実は奴隷制度の労働に支えられていた。その「労働」を喜びとして、また信仰へ至る道としてとらえ直した。それは大変な改革といえる。

今の時代にも言える真実ではないか。喜びを持って仕事をしているか。弱い立場の人に、過酷な仕事を押し付けてはいないか。おいしい所だけを味わおうとすると、見えないところで病みはじめる。
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戒律写本(オックスフォード写本ハットン48:8世紀)

ところで、DOOR の店主高橋香苗さんは、だれがどのような本を買っていったかを覚えておられるようなのだ。恐るべし。

(礼)

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by trmt-ken | 2018-01-24 13:27 | 読書日記 | Comments(0)
文字に刻む音-蘇東坡によせて-
蘇東坡の詩は、重なる音の響きが心に残る。

鼓闐闐(てんてん)にはじまり、水潺潺(せんせん)に終わる詩。どちらも擬声語。旃、遠、邊、見、川、煙と脚韻を踏む旅立ちの歌。
如走馬で始まり如飛鳥で終わる詩。繚繞(りょうじょう:まつわりめぐること)、縹緲(ひょうびょう:遠方にかすかに見えるさま)畳韻を踏み長江の船旅をうたう。底を流れる杜甫の調べ。糸偏にからまるように。
滾滾(こんこん:湧き返って流れるさま)としてとうたう時、ここでも遠く杜甫を響かせる。

別の発見もある。蝌蚪(かと:オタマジャクシ)、耆耇(きこう:たのもしい老臣)、鼓鼙(こへい:馬上で打つ太鼓)と部分を同じくする文字が続く。これはとても偶然とは思えない。(検索しても出てこない漢字もあった)

繰り返しの音はあたかも鼓動のようで。そして、ふと振り返れば、季節を大事にする日本の歌は、四季の巡りをほとんど祈りのように唱えたのではないか。同じようにうたった歌人と唱和しているのではないか。昔、学校で詩歌を習う時、季語とか枕詞は意味がないように扱われてきたが、そんなことはないと思う。言葉の重なりや遊びにこそ、託すことのできる思いもある。言葉を数珠のように手繰りながら。
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蘇東坡:黄州寒食二首:中央公論社書道芸術より:
長江が増水して戸口から流れ込んで来そうなことを記すあたり。

「東坡」という号自身、 白居易の詩から採ったもの。王義之・顔真卿が文字の血肉となり、また敬愛する先人の調べを糧として。
(礼)

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by trmt-ken | 2017-11-21 21:54 | 読書日記 | Comments(0)
息(いぎ)をするように
定期的に5時間ほどの汽車の旅をする。今回の旅の友は「The Secret Garden」。子供の頃読んだ本をもう一度ゆっくりと原語で楽しむ。子供の時には気づかなかった、たくさんのこと・・・。

重要なところで言葉が標準語からヨークシャなまりになる。ほとばしる本音の叫び。そういえば、チャタレイ夫人もそうだった。いきものに触れたときにあふれ出る「不思議な感覚」も共通して。

Wick・・・息(いぎ)してる*。いきている。呼吸と生命が同じことだ。(*猪熊葉子訳-福音館書店-による)
Wutherin・・・荒れ狂うムーアは「嵐が丘」へとつながる感覚。風土を「聞く」ため本をひらくのではないかとさえ思われて。
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それから・・・たくさんの象徴性。なぜディコンが葦笛をもって登場するか、なぜディコンの母親が青いマントを着て現れるか、金のラッパの日、・・・大人になってあらためて子供の世界におさまりきらぬ豊かさに瞠目する。
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実は一度取り寄せに失敗したのだった。妙に安価だなと思ったら、ペラペラの「あらすじ」のような本が届いた。子供の本のあらすじを知ってどうなるの。宝物は細部やちょっとした言葉遣いにこそ。

そして言葉を駆使して表現するのが文学ならば、建築はかたちを通して考えるしごとだと思うのだ。力や風や色や肌触りを胸いっぱいに吸い込んで。息(いぎ)をするように、風土に向かって網を投げるように。
(礼)

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by trmt-ken | 2017-07-18 19:52 | 読書日記 | Comments(0)
猫いよいよ佳境に入る
新聞連載の「吾輩は猫である」がいよいよ佳境に入る。11章、奇天烈な面々がそろう中での寒月君のアリア。
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思えば、漱石との出会いは、小学3年生の時のお話の時間にさかのぼる。毎朝30分、南総里見八犬伝、クオレ、レミゼラブルなどの一節を担任の先生が読んでくださった。その中に猫を主人公にしたお話があって、家に帰ってみたら、その本が、最も大事そうなガラス入りの本棚の上段にずらりと並んでいた。

朱と緑の布張りで、箱入りで、しかしルビがふってあり小学生にも読むことができた。坊ちゃんはその日のうちに読み、猫は少し苦戦した。…自分を猫と思わない猫同様、子供とは思っていない生意気な小学生の一丁上がり。それから何度読み返したことだろう。何度笑ったことだろう。限りない感謝を込めて、漱石先生ありがとう。
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落語のような活きの良さがいのち。週末でぶちぶち途切れないことを願う。

(礼)

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by trmt-ken | 2017-02-03 20:31 | 読書日記 | Comments(0)
裏返された座布団-catside down-
朝日新聞連載中の吾輩は金田邸の偵察を終えて鈴木君を待ち構える。
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来客用座布団に済まして鎮座する猫大明神。一瞬ひるむ金鎖の鈴木君とにらみ合い。ご主人がやってきて猫をつまみだし、ようやく鈴木君座布団を裏返して-turned it catside down-居場所を確保。翻訳者に一枚上げたい座布団春うらら。『ⅠAm a Cat-Ⅱ』より
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思うに、IamがIAmであるところに苦心がみえる。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-07-16 14:59 | 読書日記 | Comments(0)
猫とその後
朝日新聞に『吾輩は猫である』が復刻連載されている。何度も何度も読んだはずなのに、また新たな発見がある。そしてついその先を読みたくなり、大病時(!)のために取ってあった「Ⅰ am a cat」まで引っ張り出す。これなら、どんなにしんどい時でも読めるだろうと。だけど手術後だったら、笑ったら痛いだろうな。
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-はじめましてMintChuChuの猫です。名前はあります。-


原文のすごいところは会話。言葉使いの差だけで、人物特定の野暮なしに会話が進む。翻訳者泣かせだろうなあ。第一、タイトルからして「吾輩」のおかしみは表現不能と訳者がハナからギブアップ。「大島紬に古渡更紗の重ね」は英語版ではあっさりと「上等の絹」でおしまい。ここらでしみじみ日本に生まれた幸せを思う。しかしながら、迷亭氏をculture-vulture Waverhouseと呼ぶなどは座布団1枚。
白眉というべきは、繰り返しのおかしさ。聞くほうも、しゃべるほうも根尽き果てて、省略できたらそれは誠に好都合。こんな文学が古今東西あっただろうか、と嘆息とともに考える。終盤の「西日かんかん」の場面。せめてそのあたり、週末中断にならぬ勢いで連載してほしいです。
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- 鼻子とくしゃみではっけよい -

新聞連載では、現在鼻子夫人が出張ってきている場面ですが、イメージは浮世絵のそれも写楽のような、カギ鼻の目の吊り上がった顔が思い浮かぶ。落語のような展開といい、江戸文化を強く意識しているのではなかろうか。
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-LISAの猫 -


(礼)

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by trmt-ken | 2016-06-16 09:43 | 読書日記 | Comments(0)
たどたどしい言葉で
なまった言葉、たどたどしい言葉が、かえって本音を直截につたえることがある。上手になることを、巧みになることを時にはおそれて。

『ライ麦畑でつかまえて』なんてへたくそな英語だ。何にでもsomething and allがひっついてきて。船酔いしそうにand allとぶちぶち言いながら、終盤に来てたたみかけるせつなさ。決して流行作家なんかにならないよといいたげな潔さ。
おんなじ口癖をまた見つけた。ドリトル先生の隣人、貝掘りのジョー。 なまった上にan‘ allの春の海。鼻にかかってのたりのたり。きっと、言葉も中身だけではないリズムの波かな。
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-ドリトル先生航海記より-イラストもHUGH LOFTING
(礼)

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by trmt-ken | 2016-03-26 13:07 | 読書日記 | Comments(0)
『ある家族の会話』―ナタリア・ギンスブルグを読む
須賀敦子さんに導かれて、ナタリア・ギンスブルグの家族に出会う本。
のっけから、個性の強い両親の言動に笑い転げる。明るい調子なのに、しかし時代は重苦しい。家族の誰彼が投獄されている警察に差し入れに行くのを楽しんでいるかのような母親がいて、投獄されて初めて一人前とみなされるメンタリティの共有と絆。そして夫は獄死する。悲しみが悲しいと語られぬ余白。須賀さんにも重なる余白。

オリベッティ社は、スカルパのデザインで知っていたが、縁戚でもあり、窮地に手を差し伸べる友人であった。
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プルーストが、影のようにまとわりつく。父は嫌い。母は好き。思えば、図書館のようであった私の実家で、なぜかプルーストは1巻しかなかった。長年の疑問で、ある時父に聞いたことがある。答えは「退廃的で好みに合わなくてやめた」。フランスの友人も同じことを言った。「あなた、プルーストが好きなの。あんな退廃的なものを」。

サガンは、あれほど切れのいい文章なのに、冒頭はえらく持って廻って手さぐりに見える。ああ、この人はプルースト好みだ...。私は好き。すごいと思う。書かれている事実のかなたに文学の枠組みが飛び出している。音楽や絵画でやるようなことを言葉で構築している。それも音や色という抽象的なものでなく、それ自身歴史とイメージをかかえた言葉をつかって。

建築にもそういうことがありうるのではないか。そのことが予感としてずっとある。法規やら予算やらにアップアップしながらの現実のなかで、寿命も才能もあまりに限られているが。夢見る予算の上限はない。
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病気の時の楽しみのために買い揃えてある仏語版。いつそれほどの大病になる予定? 90歳の水泳マスターズと同種で。いつか。
(礼)

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by trmt-ken | 2016-03-05 18:37 | 読書日記 | Comments(0)