福岡伸一の動的平衡-聖書のことば-
福岡伸一の視点はおもしろいなあ、とくまさん。実は切り抜きのストックはほかにも。
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聖書の冒頭「初めに言葉があった」をギュツラフ訳では「ハジマリニ カシコイモノゴザル」。「カシコイモノ」とは、ギリシャ語の原典では「ロゴス」であった。
世界を統べ、論理を与える力としてのロゴス。一方で、本来連続し、絶えず移ろいゆくものとしての自然を分節化し、名づける力としてのロゴス。人の知恵の源泉としてのロゴス。それがカシコイモノなのである・・・。
2017.1012朝日新聞-福岡伸一のコラムより

思想や哲学は、今までにある言葉(道具)を使いながら、ないものを現わそうとする。翻訳すると少しづつずれが生じる。殊に哲学など重みのある表現にしたがる傾向がある。生き生きした「言葉の質感」が失われることもある。
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Dijon・St Benigne:栄光のキリスト

聖書は決して禁欲的な書物ではないと思う。雅歌の持つみやびかつ官能的な調べはどうだ。様々な豊穣な文化のうえに思想が生まれ、異なる風土・気質の文化に伝わるとまた姿を変える。生き物のように、建築のように。もはやどれが正しいとは言いきれない。だから、せめて複眼でいたいと願う。

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Moissac:預言者ジェレミー

仏教徒であれば、漢文化された仏典に満足せず、チベットやサンスクリットの原典に触れたいとする気持ちは痛いほどわかる。…語学の天才・空海はどれだけの世界を見ていただろう。
ところで、般若心経小本のサンスクリット写本は、インドやそのほかの世界ではなく日本の法隆寺に伝わっているという。サンスクリット文字自体変遷しているが、空海の文字に、ひいてはひらがなの下敷きになってはいまいか・・・。
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(礼)

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by trmt-ken | 2018-08-01 20:11 | 折々に・・・ | Comments(0)
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