労働という身体性 (モダニズム建築の現在-11)
■棚田や土塀と身体性 
棚田や土塀はどうして美しいんだろうか、
なぜ感動的なのだろうか・・・?と考えてみました。
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「正しい棚田の作り方」より

理由はいくつもありそうですが、その一つに「風景の背後に、作業をした人たちの手や働きを感じる」ということがあるように思います。
水を張ること・土を捏ねること、石や瓦を積むこと・・・などの作業の身体性による結果は、造形的な味わい深さとともに、「私にもできそうだ、今度やってみたい・・・」という感慨を呼びます。
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この「わたしにも出来そうだ・・・」という感情が、「美しい」という印象に加えて『愛着』にも繋がっているように思います。

■コンクリートブロックの身体性
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上乃木高台の家・清光院下の家

上乃木高台の家(DOOR bookstore)や清光院下の家のコンクリートブロックからも、一枚づつ積んでいる職人さんの労働が目に浮かびます。そして「今度の休みに、ブロックを組み立てて本棚や炉を作ってみようか・・・」などと考えたりします。20cm厚さのブロックは結構重いのですが、1枚なら持てます。

■歴史的集落の価値と身体性
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高梁市吹屋

日本や世界の各地に残っている歴史的集落の価値については
○ 自然系素材による統一感と親密感
○ 機械ではなく、人間が尺度となっているスケール感の心地良さ
○ 熟練した職人の技や丁寧に丹精込めてつくられたものの味わい
○ ゆっくりと流れる時間によって形成されてきたことによる確かさ
○ しみじみとした感動
などと理解されています。(本稿第1回美しい街は可能か)特に価値の高いものは世界遺産や日本遺産として登録されています。
このような「自然系素材・ヒューマンスケール・手仕事・ゆっくりした形成・しみじみ感」という歴史的集落の価値を、「身体性」という概念で総称することにしました。
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ドブロクニク


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イタリアの漁村


■「身体性」を失った近年のモダニズム建築
20世紀後半の建築技術の飛躍的進歩の結果、現代建築は古建築や歴史的集落の持っているかけがえのない価値である「労働という身体性」を失ってしまったのではないか・・・。失ったものを「土から離れてしまった」と述べてきましたが、「土」の中心には「身体性」と呼ばれるものがあるように思います。

この身体性は、私たちが設計でこだわり続け、格闘して来たものでもあった・・・LカーンやLバラガン、Pズント-達のモダニズム建築を敬愛する大きな理由が、「身体性を保持したモダニズム建築」だからではないのかと思い返しています。

冷たくてよそよそしい・・とか退屈だ・・・とか、感動がない・・・と言われている近年のモダニズム建築の停滞感を考えたとき、「モダニズム建築は何を達成したか?」を探ること以上に、
近年のモダニズム建築は何を喪失したか?」
を追究することが重要だと思っています。
(和)


『モダニズム建築の現在』について、これまでのテーマは以下の通りです。
1. 美しい街は可能か
2. 懐かしい建築・新しい建築
3. 空間の居心地・ここちよい景観
4. 漂うモダニズムを読みました
5. 新体育館は現代的デザインがふさわしい
6. 土な建築・土なモダニズム
7. 土な建築・土なモダニズム-2
8. 新国立競技場問題と土なモダニズム
9. 土なモダニズム・新しい地域主義
10.出雲大社庁の舎からモダニズム建築を考える
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by trmt-ken | 2016-07-27 17:52 | 現代建築の現在 | Comments(0)
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