モダニズム建築の現在-3
空間の居心地・ここちよい景観 10年くらい前(1999年)の「美しい街は可能か」、前回の「懐かしい建築・新しい建築」に続いて、今回はその(3)ということになります。「現代建築がどうもおかしい、どうしてこんなことになってしまったのだろう」という思いがずっとありました。そして、わたしたちの現代建築は今どこにいるのだろうか、ということを少しでも明らかにしたいと考え、原稿を書き始めました。3回目になって、論じたかったことの輪郭が少し見えてきました。 清光院下の家(寺本邸) ○美しい街は可能か・・・・・・・・・・・第1回 ○懐かしい建築・新しい建築・・・・・・・第2回 ○空間の居心地・ここちよい景観・・・・・今 回 ○都市の身体としての住居・・・・・・・・次 回 ○参加のデザイン・・・・・・・・・・・・その次 ○建築の象徴性と装飾性・・・・・・・・・その後 ○建築力の行方・・・・・・・・・・・・・まとめ 建築に「ちから」があるとすれば、それはどのような「ちから」なのかを、確かめてみたいということのようです。 今回は、「居心地」をキーワードとして、空間や景観について吟味してみたいと思います。 上乃木高台の家(高橋邸) ■住宅の居心地 「住宅の設計で最も大切にしたいことは居心地である」というあたりまえのことを、サラッと言えるようになったのはごく最近のことになる。それまでは「プライバシイを確保しながら開放感があること」という説明をしてきた。寺本邸や高橋邸では素材感と断熱性を意識し、コンクリートブロック2重積み工法のコートハウス(中庭型住居)とした。 その後、大きな庇の仁摩図書館や外断熱工法の木造住宅などを設計するうちに、シェルターとしての建築、特に「空間の居心地」について今まで以上に意識するようになった。 この間、建築についての興味深い原理論にいくつか出会うことができた。 ■ユニヴァーサリティ 「歴史性や地域性を超えた空間の普遍性(ユニヴァーサリティ)とは、人間の動物的本能に根ざしたものを指す・・・」という説であり、以前槇さんから説明を伺った時は文字どおり目からウロコであった。 姿かたちや材料がどうあれ、また洋の東西や新旧を問わず、優れた建築や素晴らしい空間には私たち誰もが感動する。この「誰もが」ということはどうしてだろうか?という疑問に対し、「現代の日本人も、大昔のアフリカ人も、中世のヨーロッパ人もそう大きな違いはない。なぜなら、みな人間だから」という説である。 仁摩図書館の大庇 ■アレグサンダーのパタン・ランゲージ 背後が守られていて、前方に大きな空間が開けている場所を人は好む・・・という例。 ○「座れる階段」 見晴らしがきく程度に小高く、かつ活動に参加できる程度に低い場所を人は好む。 ○「窓のある場所」 窓辺の腰掛、ベイウインドウ、敷居の低い大きな窓のわきのイスなどは万人に好まれる。 ○「玄関先のベンチ」 人は街路をぼんやり眺めるのが好きである。 などである。・・・まあそうだ、と思う。 ■アップルトンの棲息適地論 「自分の姿を見せることなく、相手の姿を見ることができる場所」が動物の棲息適地の条件であるという説であり、「動物は本能的に見つけることができ、そのような場所を好む」という論である。 人間の巣(登呂遺跡) ■人間の好む空間 これらの「ユニヴァーサリティ、パタン・ランゲージ、棲息適地」などの原理論は、「人間の好む空間には歴史性や地域性を超えた共通性があり、敵から守られていて開放感があること」ということを示している。そしてこのような場所は、人間にとって「居心地がよい、」ということのようである。アレグサンダーとアップルトンの論をつなげた樋口忠彦氏の「住処(すみか)のけしき」はとてもおもしろかった。 人間の巣(今帰仁村公民館) アップルトンの棲息適地論はさらに続く。「このような棲息適地を遠くから眺めた時、人間は美しい風景と感じる」というのである。何かキョをつかれたような論であり、えっそうなの(?)と思いながらも、「宇宙から見た地球は美しいらしい」とか、「アシ・ヨシの繁る水辺や森、樹木などが好ましい景観と感じるのは、魚や鳥、虫にとって棲息適地だからなのか・・・。彼らの棲息適地は、当然人間の棲息適地でもある。」と納得してしまうのである。 棲息適地と景観は深くつながっている! 人間の巣(地球) 景観に関わる仕事をしながらも、「好ましい景観」の判断根拠は何であろうかという疑問をずっと抱いていた。ある景観が良いか悪いかについては、多くの人は正しく判断できる。しかし、その理由や根拠を問うとうまく答えられない。「なじんでいる」という説明がある。しかし、なじむとはどのような状態を指すのか、またなじむとなぜ美しいのか、という質問には答えにくい。「街なみの連続性が大切」ともいうが、連続性のある街並みはなぜ好ましいと感じるのか、という問いも同様である。棲息に適しているという直感が「好ましい景観」と判断させるのか! 虫や魚・鳥の生息適地 ■外部空間の居心地と景観 樋口忠彦氏は、パタン・ランゲージと棲息適地論がつながったということに興味を感じておられた。私は、「居心地」という人間の本能に基づくことが、内部空間だけでなく外部空間や景観にもいえる、つまり景観を「外部空間の居心地」ととらえる視点に着目したい。 景観について、「ホッとする景観」と「ハッとする景観」に分類する論がある。少なくとも前者は「外部空間の居心地」のことを指しているようだ。建物に囲まれた街路や広場などの景観がここちよいと感ずる時は、外部空間として居心地が良いからだとおもわれる。 外部空間を構成する建築が、唐突であったり、チグハグであったりすると「不快な景観」として私たちは拒絶する。壁(建物)の高さや色、形などが脈絡なくふぞろいな部屋(外部空間)は、とても居心地が悪く落ち着かない。何らかの統一性があって、文脈が明快であることが求められるのは、内部も外部も同様であろう・・・・・・・・。 シエナの広場 建築の内部空間と景観が両方とも、「棲息適地の居心地」という言葉で語れることに驚いている。 (和)
by trmt-ken
| 2016-06-09 15:40
| 現代建築の現在
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by 寺本建築・都市研究所 タグ
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