『ある家族の会話』―ナタリア・ギンスブルグを読む
須賀敦子さんに導かれて、ナタリア・ギンスブルグの家族に出会う本。
のっけから、個性の強い両親の言動に笑い転げる。明るい調子なのに、しかし時代は重苦しい。家族の誰彼が投獄されている警察に差し入れに行くのを楽しんでいるかのような母親がいて、投獄されて初めて一人前とみなされるメンタリティの共有と絆。そして夫は獄死する。悲しみが悲しいと語られぬ余白。須賀さんにも重なる余白。

オリベッティ社は、スカルパのデザインで知っていたが、縁戚でもあり、窮地に手を差し伸べる友人であった。
f0202518_18305293.jpg

プルーストが、影のようにまとわりつく。父は嫌い。母は好き。思えば、図書館のようであった私の実家で、なぜかプルーストは1巻しかなかった。長年の疑問で、ある時父に聞いたことがある。答えは「退廃的で好みに合わなくてやめた」。フランスの友人も同じことを言った。「あなた、プルーストが好きなの。あんな退廃的なものを」。

サガンは、あれほど切れのいい文章なのに、冒頭はえらく持って廻って手さぐりに見える。ああ、この人はプルースト好みだ...。私は好き。すごいと思う。書かれている事実のかなたに文学の枠組みが飛び出している。音楽や絵画でやるようなことを言葉で構築している。それも音や色という抽象的なものでなく、それ自身歴史とイメージをかかえた言葉をつかって。

建築にもそういうことがありうるのではないか。そのことが予感としてずっとある。法規やら予算やらにアップアップしながらの現実のなかで、寿命も才能もあまりに限られているが。夢見る予算の上限はない。
f0202518_18311196.jpg

病気の時の楽しみのために買い揃えてある仏語版。いつそれほどの大病になる予定? 90歳の水泳マスターズと同種で。いつか。
(礼)

[PR]
by trmt-ken | 2016-03-05 18:37 | 読書日記 | Comments(0)
<< 暖かな雨が降る 里山から春のたより-庭の林の森... >>