宗教にかかわる事件が世界をゆるがす今、空海という存在に切り込むという試みに刺激されて、高村薫の「空海」を読んだ。全体像をとらえるという入門としてはわかるが、未消化部分も残った。というのも、字は人格を現すと言われ、これほど書が残されているのに、この一級資料の書への言及がほとんどみられないことである。
唐にようやっとたどり着いたとき、しばらく一行が捨て置かれ、空海の上申書によりようやく都へ上京許可が降りたというエピソード…空海の文面を見て、中国の役人が目をむかぬはずがないと私は思う。字がまずくても立派な人はいるかもしれない。だが逆はありえない。教養・才能あふれかえっている圧倒的な力を空海の書は持っている。 かって少し書を学んだ時、一字につき先人の12種類の字を集める課題が出た。日本人の中で空海の文字は抜きんでていて、目が吸い寄せられた。文字の中に呼吸があり、一緒に息をし、動いている感じがした。密教とこの感覚はどうつながっているのかを切に知りたい。若き日の空海は室戸で明星が体内に入ってくる体験をしたという・・そこにつながるのだろうか。 もう一点。自署はどんなだっただろうと、探してみた。多くの「海」は「毎に水」と書かれ、他の文字に比べてひかえめで、恥ずかしげに見える。かほど文字はいろいろなことを想起させる。揮毫するには勇気がいる。高村薫の愛読者としてあえて苦言を申します。「続」が待たれます。 (礼)
by trmt-ken
| 2016-02-21 22:17
| 読書日記
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by 寺本建築・都市研究所 タグ
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