<   2013年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧
新谷正法を悼む
横浜国立大学建築学科同期・新谷 正法の遺体が羽田に到着した。
f0202518_20292224.jpg

大学を卒業して以来、一度も出会っていない。何年か前、石油プラント大手・株式会社 日揮の副社長に就任したことを友人から聞いていた。株式会社 日揮でどのように仕事をしていたのか…はここ数日の報道で知るばかりである。学生時代、彼は小説を書いていた。親しいわけではなかったが、「もうしばらくは小説を書く。建築はそのあとでやる。」と言っていたことを思い出す。

ここ数年では

  • 大竹 寿之(株式会社 日本設計 副社長)
  • 小宮 和一(商店街コンサルタント事務所主宰)
  • 田中 淡(中国建築史研究者・京都大学教授)
に続き4人目になる。皆、その道を懸命に歩いていたことを私たちは知っている。私たちはいわゆる全共闘世代である。大学4年目のとき、全国的な波の中に「入るしかない」と決意して入り、そしてもろくも地にまみれた。その時の一人一人の状況は異なるが、「重いもの」を背負ったのは皆同じであったろうと思う。

大竹 寿之とはなぜか気が合った。福島 節男と3人共同の卒業研究「横浜・山手地区の景観構成についての考察」を思い出す。あのころの、22・3歳の研究としては上出来であった…、と今でも誇りにしている。大所帯になった株式会社 日本設計の、デザイン意識の良心として、副社長に就任することになったのだろうと推測していた。

1年先輩である小宮 和一は、苦戦している商店街の立て直しに全国を奔走していた。松江に私が居を移してから深く付き合うようになった。松江やその近郊の商店街の再生にかかわらざるを得なくなり、小宮の応援が必要になった。私の頼みに、ことごとく、見事に応えてくれた。

田中 淡は出席簿がタ・テと続くので、1年のとき物理実験が同じ組であった。ひょうひょうとして、物静かであったことを覚えている。京都大学で中国建築史の教授をしている、とうわさで聞いていた。落語が好きだったそうだ。同僚達のブログを読み、中国建築史研究の日本の第一人者であったことを知った。

[PR]
by trmt-ken | 2013-01-26 17:25 | 現代建築の現在 | Comments(0)
隠岐古典相撲
昨日、映画「渾身」が全国版ニュースに出ていました。
舞台となった水若酢神社は、隠岐の寺本の隣です。寺本家は明治時代にできていますが、神社に敬意を表して、神社側の北向きを表としています。
f0202518_22164329.jpg
水若酢神社鳥居と寺本の蔵。母屋は樹木の後ろ

古典相撲は20年ごとの遷宮や慶事の際に、周到な準備を経て執り行われます。映画のモデルとなった遷宮の際は私は新婚早々で、都会育ちの新米嫁は様々なしきたりにカルチャーショックを受けました。遷宮は深夜暗闇の中で行われ、その後の奉納相撲は徹夜でありました。界隈はしめ縄が張り巡らされ、派手な襦袢を羽織った力士たちが相撲甚句をうたいながら練り歩いていました。こちらは来客の接待に追われ、昼だか、夜だか朝だかなんだかわからんようになり、時々上がる相撲場のどよめきを聞いていました。

昨年のロケの際は学生さんと古民家調査の合宿中で、学生さんはエキストラで参加しました。夏でしたが、11月にふさわしい服装でとの注文だったそうです。この時もまた若者の食事の準備に追われながら相撲場のどよめきを聞いていました。

映画のモデルの池田さんは、都万村の大工さんで、工事の現場でもお会いしました。松江で一度カラオケにご一緒しましたが、恐ろしく歌がうまく、店内がシーンとして拍手喝采でありました。
f0202518_22374779.jpg
隠岐今津の花畑
f0202518_2238265.jpg
今津の林
先日隠岐の国道を走っていると、夕闇の中になにかぷらんぷらんするものがある。前の車の荷台の牛のしっぽでした。家族同様かわいがられている牛の揺れるしっぽを見ながら、車が行列してのどかに走っていました。相撲だけでなく闘牛・祭り・神楽・古民家・海の幸など、いろいろな魅力を秘めた場所です。
映画の成功を祈念します。(礼)
[PR]
by trmt-ken | 2013-01-17 22:51 | 隠岐の島たより | Comments(0)
新年初笑い
気分が落ち込んだらこれを読む。ただし人前では読まぬこと、とある方面から転送された福井県立図書館の「覚え違いタイトル集」
ウサギの出来そこないが2匹でてくる絵本…ぐりとぐら
生姜(しょうが)みたいな名前の人…姜尚中
田んぼの中にタガメが居る…誰がために鐘は鳴る
しばらく横隔膜がけいれんしていました。
さらに読みたい方は福井県立図書館のウェブサイトをどうぞ。今年も元気に笑える年でありますように。

「誰がために…」は、英文学徒であった母が、本邦初訳を目指していたが遅れをとったと、残念がっていた本です。亡き母も墓の下でけいれんしているでありましょう。(礼)
[PR]
by trmt-ken | 2013-01-15 22:32 | 折々に・・・ | Comments(0)
今年も夏みかんの豊作です
今年も清光院下のギャラリーの夏みかんが豊作となりました。
f0202518_1651286.jpg
屋上より清光院の山門とのツーショット。右の方には鐘楼があり、除夜の鐘を撞くことができます。天倫寺ほどの行列はなく、2つばかり鳴らしてお酒を頂いて帰ります。
f0202518_16515479.jpg
何の面倒も見ていないのに、けなげにみのる夏みかん。今年もママレードつくりに精をださねば。(礼)

清光院下は、最近松江市景観計画の重点区域に指定されました。(堀江一夫氏より投稿あり)
寺社・杜・階段・鐘の音などの他にも、隠れた魅力もあります。花好きの住民が多く、いつもどこからか良い香りがすること。道幅が狭く、長さも見通せる距離のため、道路でなくみちの機能をもっていること。行きかう人があいさつをし、階段の下からお寺や神社に手を合わせていく方もおられます。

町内の掃除の日には、遅刻しないようにしないと、すっかりきれいになったみちでご苦労様ジュースだけ頂くという事態になります。松江市の中でも早々と重点地区に指定になった理由には、きっとこうした住民の暗黙の結束力があったためかと思います。

参考(松江市のパンフレットより)
清光院下は、江戸時代初期の城下絵図が作成された時期には、すでに現在の街区が形成され、松江藩士が居住する武家屋敷が配置されていた。道路の配置は当時のものとほとんど変わらず、その道幅と家並み、地区の後背地である月照寺・清光院・愛宕神社周辺の森が調和し、落ち着いた佇まいを留めている地域である。
現在も木造建築で勾配屋根が多く、開府以来の名刹である清光院や松江松平家の菩提寺である月照寺を地区の象徴として、城下町松江の歴史と伝統を感じさせる景観が残されており、そぞろ歩きに適した道を備える比較的良好な住宅地となっている。

[PR]
by trmt-ken | 2013-01-14 17:07 | 森のくまさん | Comments(0)
謹賀新年2013
f0202518_23184337.jpg

明けましておめでとうございます。
元旦よりひっそりと仕事を始めました。貧乏暇なしが習い性になって久しく、それでも仕事が好きなのでしょう。
隠岐そば(サバ出汁+ゆず+岩のり)と、隠岐風雑煮(あご出汁+岩のり)があれば、それで十分。年々シンプルさを増してきた、あるいは手抜きとなってきた正月です。このまま老化現象まっしぐらとならないよう気をつけます。
皆様にとって良いお年となりますよう。
[PR]
by trmt-ken | 2013-01-01 00:00 | 年賀 | Comments(0)