<   2012年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧
【ご案内】ひびきあうもの vol.4「家について」
ひびきあうもの vol.4
  • テーマ:家について
  • 会期:2012年11月3日(土)〜11日(日)
  • 時間:11:00〜18:00
  • 会場:清光院下のギャラリー
  • お問合せ:090-8713-0852(DOOR)
f0202518_8564568.jpg
今回は「家について」がメインテーマです。クラフト、食、ライブなどもあります。人の輪がだんだん広がリ、様々なところでにょきにょき芽を出している気がします。
f0202518_857279.jpg


清光院下のギャラリーにおける展示会
[PR]
by trmt-ken | 2012-10-27 11:30 | ひびきあうもの | Comments(0)
名もなき草にも秋がきて
f0202518_973528.jpg
我が家の1つだけ外に開いた窓。一度へデラ(アイビー)を払った後、名もなき雑草が成長して、2階まで到達しました。名もなき草でも秋の風情。この窓からは朝焼けが見える。それから年に一度盛大に開け放って、水郷祭の花火を見る。

15年ほど前、隣家が火事になり、丸窓が真っ赤になった。あわあわと肝をつぶして我々夫婦は逃げるだけ、娘が濡れタオルで窓に目張りをして逃げ、以来頭が上がらない。短気な父親、頼りない母親、冷静な娘の絶妙かつ珍妙なトリオでありました。

(礼)


[PR]
by trmt-ken | 2012-10-16 20:40 | 折々に・・・ | Comments(0)
漂うモダニズムを読みました(モダニズム建築の現在―4)
拝啓
槇 文彦 様

古代出雲歴史博物館の竣工式にいらっしゃったときお会いして以来、OB会にも出席できず御無沙汰しております。「新建築9月号」の『漂うモダニズム』という論考を拝見し、どうしてもお手紙を差し上げたいと思いました。建築と言語を対比して論じていらっしゃる事に感銘を受けたからです。

f0202518_8405139.jpg
古代出雲歴史博物館
12〜3年前から、島根県建築士会の会報誌に「モダニズム建築の現在」という拙文を連載していまして、地方都市やその周辺に顕著な「現代建築と風景の混乱」について考えたり論じたりしています。第4回目の原稿「処方箋はあるのか」を書いているときに、新建築を拝見致しました。

私はいわゆる全共闘世代です。学生時代の後半、大学と社会の関係、建築と人間の関係、建築や文学の「表現」などについて、混乱しながらも思考を組み立てることの必要性に遭遇しました。その過程で、私の建築や都市に対する興味の中心には、「風景というもの」があるということに気付きました。一方、その様な思考を組み立てる「言語というもの」にも強い興味を抱いておりました。風景と言語は、「私にとって興味深い」という共通点はあるものの、両者は別の世界であり、一方が片方を代弁することはできない…などと考えつつも、両者の関係が気になっていました。言語表現に関する難解な著作の「指示表出と自己表出」という概念と、建築の「機能と美」とを対置して考え、建築を行なう上でのヒントを求めたりしていました。

当時のメモに、「眼には眼を、歯には歯を…という論理からすれば、言葉には言葉を、風景には風景を…という問題なのであろうが、樵の倅であってみれば、言葉と風景の関係が気になったとしても致し方あるまい…」などと記し、そこで思考は止まっておりました。

「漂うモダニズム」が、言語と建築の考察からはじまっていることに思わずうなってしまいました。

f0202518_841656.jpg
立正大学熊谷校舎

私が槇さんの事務所にお世話になったきっかけは、立正大学熊谷校舎を拝見したからです。建築雑誌を読み熊谷校舎を見学して、私の就職先はここしかない…と勝手に決めてしまいました。
キャンパスの広場や建築の中を歩くとともに、解説の「軸、系、アイストップ、シークエンス…」などを読み、今から思い出してみますに、「風景を構想し、空間をデザインする」という建築に、学生の私が本能的に反応した…ということだったのでしょうか。
槇事務所で教わった「建築と都市を同じ眼差しで扱う」という姿勢は、その後の私の基本姿勢となりました。退社後も、お会いするたびに「おみやげ」をいただきました。松江市都市デザイン委員会の基調講演の時には、「ユニヴァーサリティ」についてお聞きすることが出来ました。「空間の居心地・ここちよい景観」という拙文の中で引用させていただきました。

ユニヴァーサリティ

「歴史性や地域性を超えた空間の普遍性(ユニヴァーサリティ)とは、人間の動物的本能に根ざしたものを指す…」という説であり、以前槇さんから説明を伺った時は文字どおり目からウロコであった。姿かたちや材料がどうあれ、また洋の東西や新旧を問わず、優れた建築や素晴らしい空間には私たち誰もが感動する。この「誰もが」ということはどうしてだろうか?という疑問に対し、「現代の日本人も、大昔のアフリカ人も、中世のヨーロッパ人もそう大きな違いはない。なぜなら、みな人間だから」という説である。
その後、古代出雲歴史博物館の仕事でいらっしゃったときには、街区形成型居住システムと内山節著の「里の思想」についてお聞きしました。
東京のような地価の高いところでは難しいが、松江であれば街区形成型居住の成立は可能性が高いのではないか?ロの字でなくともコの字やニの字でもよいんだが…ということでした。

松江駅通りの都市計画道路拡幅に伴なう再開発事業で、ニの字の集合住宅が一応完成しました。友人からは「松江の中でここだけが代官山だね」などと冷やかされていますが、「いや、そうではない。普通に造ったら自然とこうなった」と答えています。

f0202518_8415173.jpg
代官山ヒルサイドテラス

最近、こんな本を読んでいるが面白いですよ…とカバンの中から取り出されたのが、内山節著の「里の思想」でした。松江の中心部を二分して流れる大橋川の治水問題に関連して、河川工学者の大熊孝氏の本を読んでいるころでした。大熊氏と内山氏はもう一人の方と「3人委員会」なるものを作り、主に近代が置き去りにした治水技術や里の共同体などについて、見つめ直す活動をしている人達でした。内山氏については、大熊氏の著書の解説者と記憶していましたが、槇さんが「都市の思想」ではなく「里の思想」なる本を取り出されたのです。

「モダニズム建築の現在(第4回)処方箋はあるか」の構成は以下のように考えていました。
1999年に「美しい街は可能か」という文章を書いてから10年以上経ちました。前回の「空間の居心地、ここちよい景観」からも数年経ってしまいました。「現代建築がどうもおかしい、どうしてこんなことになってしまったのだろう」という思いがあり、わたしたちの現代建築は今どこにいるのだろうか、ということを少しでも明らかにしたいと考え、原稿を書き始めました。
  • 第1回 美しい街は可能か      (1999年)
  • 第2回 懐かしい建築・新しい建築  (2008年)
  • 第3回 空間の居心地・ここちよい景観(2010年)
このペースだと、現代建築やその集合体の混乱についての考察は、いったいいつになったら書き終えるのだろうか…?と心配でしたが、今回は一足飛びに「その処方箋はあるのか」について論じてみることにしました。
  1. 枠組みについて
  2. 表現意識について
  3. 現代建築の到達点
  4. 創ることと論ずること(終わりに)

f0202518_8412376.jpg
現代建築や風景の混乱

ですが、もう一度その構成を考えなおしたくなりました。
松江に住んで30年になります。この街やその周辺の風景・建築がなんとかならないかと思案してきましたが、ちから足りずなかなかうまくいかない…というのが実感です。新建築の論考を読ませていただき、「まだまだ諦めるわけにはいかない」と、読後の歓びの中を漂っております。
この地の様子について、またご報告のできる日が来ることを念じています。

敬具
寺本 和雄

[PR]
by trmt-ken | 2012-10-11 18:10 | 現代建築の現在 | Comments(0)
漂うモダニズム―槇文彦によせて
「新建築9月号」に槇文彦先生が、長文のエッセイを寄稿されています。寺本は、まるで自分に宛てられた手紙のように受けとめて、必死に返事を書いています。いつもは「吾輩」は偉いと思っている人が、「浅学非才の身で」とかしこまっているのがすごくおかしいです。

f0202518_2263386.jpg
御夫妻で来松の時のスナップ

タイトルは「漂うモダニズム」。…漂い、立ち止まり、羽を休め、再び飛び立とうとする文章、後には思いがけない種を落とし、次世代に思いがけない植物が芽を吹くかもしれない文章。読み手が自らの様々な思いに浸り、読むことに喜びと幸せを感じました。

槇先生は松江・出雲には何度も見え、お供をしました。新しいディテールのきっかけ、興味を持っている本、松江の都市デザインへのアドバイスなど、数人で伺うにはもったいないような話しが続出しました。

[PR]
by trmt-ken | 2012-10-08 22:30 | 現代建築の現在 | Comments(0)
木の香りに包まれて
大社町の住宅工事が始まりました。無節のすがすがしい材料が待機しています。この登り梁を毎晩眺めることを考えると幸せな気持ちになります。
f0202518_762433.jpg
まだカンナのかかっていない材料は存在感があっていきいきしています。

昔大学生の頃、元気のないときには、渋谷の大きな生地屋さんにでかけました。たいそうなものをつくるるわけではないけれど、生地を見ていると、ああなりたい、こうなりたいという声が聞こえるようで、なぜか元気がでました。粘土も好き、石も好き、木も布も革も紙も染料も。機械相手ばっかりになりつつある日常から、ふと生身に帰る一瞬です。

(礼)

[PR]
by trmt-ken | 2012-10-06 20:00 | 折々に・・・ | Comments(0)