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L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-7〈ブルゴーニュの夏休み〉

一年たっても語学力は不十分とのモネ先生の太鼓判を頂き、夏休みには語学研修に出発。平日はディジョン大学で語学研修、週末にはブルゴーニュ地方のロマネスク建築三昧の日々を送る。 

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Paray-le-Monial:柱が壁から浮きはじめ丸柱・角柱・溝付柱などが展開。華やかなクリュニー会派の表現。


ロマネスクの建物はその町の石の色と質がとても大きい。クルルモンフェランは溶岩の真黒な大聖堂。パレルモニアルは黄土色。ディジョンは赤味の褐色、そしてトールニュスはバラ色。昔から言い伝えられた石で、ほとんど恍惚となるような幸福感に満ちた堂内。

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-サンフィリベール:Tournus-


現在の修復によるステンドグラスも、このバラ色の石を生かすことに全力を挙げていることが分かる。わずかなグラデーションのあるバラ色と緑の色ガラス。ここの身廊は、当初の木造架構から架け替えられ横断方向に連続したボールトが掛かる。推力が相殺される合理的な架構だが、ほかにはあまり例を見ない。地下祭室と入口側3ベイはさらに古い。

ブルゴーニュ地方は良質の石を産し、ゴシックへとつながる構造的実験の成果を見ることができる。歴史的には過度的といっても、それぞれがそれぞれの美しさを持ち、その時の到達点を示している。どれが上とは言い切れないのが不思議。それに、ゴシック全盛の時代に入っても、なおロマネスクへの好みを保持し洗練させていった地域や流派があった。(シトー会フォントネなど―別稿

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-1友人たち2016.0903

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-2授業点描2016.0905

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-3階段の表と裏2016.0908

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-4手仕事の身体性2016.0913

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-5祭具・象徴性2016.0917

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-6試練の日・ラン大聖堂2016.0919

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-7〈ブルゴーニュの夏休み2016.0920

(礼)

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by trmt-ken | 2016-09-20 20:13 | chaillot | Comments(0)
L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-6〈試練の日〉

シャイヨーのことを描いて6回目になった。楽しいことばかりでは片手落ちになるだろう。楽ではない。課題、レポート、筆記試験や口頭試問まであった。野球選手が大事な試合の球種をすべて覚えているように、絶対絶命の口頭試問のやり取りは今も鮮やかに記憶している。ゴシック建築史は沢山の裏返された写真から一枚を引いて、それについて述べるというもの。一枚目ははずれ。事務長さんがさりげなく顔色をみていて、外国人留学生には2枚目のおまけがあった。2枚目は当たり。大好きなランのカテドラルであった。





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Laonの大聖堂内部>

ほっとして、パリ大聖堂とほぼ同時代にかかわらず、丘の上にあって彫りが深いこと、壁から独立した束ねられた支柱により3本・5本とリズムを刻んでいること、塔から顔を出す印象的な牛の像のことなどを話した。平面の特徴は?東面は平らでノルマンディの伝統を継いでいます。・・・マドモワゼル、あなたの成果には大変満足しています。言葉の困難があると思いますが、どういう風に勉強しましたか?・・・録音機の助けを借り、忘れないうちに、スケッチブックを持って出かけました。・・・ロートレックを思わせる、いつも少し悲しげなティリオン先生がにっこりされて、何とか生き延びることができた。

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Laonの大聖堂・側廊>

本当は、言葉さえも建築の授業から学んだのだった。「2枚目もはずれの場合」は、恐ろしくて決して考えないことにした。一日にして禿げなかったのが不思議。

支える力・留める形が表現となる。フランス独自の理性が形を得て生まれ出た瞬間のような、いきいきとした感動的な聖堂。ポンピドーセンターの荒々しい表現をも許容する精神の源流をみる。

(礼)


シャイヨー校について

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-1友人たち2016.0903

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L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-7〈ブルゴーニュの夏休み〉予定






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by trmt-ken | 2016-09-19 09:46 | chaillot | Comments(0)
L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)-5〈祭具・象徴について〉

白川静の漢字学に触れると、呪術や祭りごとに起源をもつ文字がいかに多いかに驚く。

物の世界も同様。祭壇・洗礼盤・聖杯・顕示台・宝物櫃・幕などの聖別された「もの」が、横たえる・洗う・ささげる・かぶせる・隠すなどの日常の行為との間を行き来しながら特別な意味を獲得していく。

ローマ時代の浴場が初期キリスト教で洗礼堂に転生する飛躍。コルビジェが、洗面台になぜあれほどこだわるか。教会堂主廊が箱舟(nef)と呼ばれる理由。言葉とものと象徴が脳みその中で絡み合い、発光する。当たり前のものが違った様相で見え始め、背後には深く豊饒な闇。我が国の建築学科では取り扱わない分野であった。ラングドン教授がおでましになりそうな。

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Vézeray,Sainte-Madeleine寺院>

マドレーヌを食べて別世界へ飛ぶ・・・聖マドレーヌは特別な存在であったし、貝殻のかたちはサンジャックの印であった。Vézerayへは、Avallonから徒歩で到達。これは女性へ捧げられた聖堂であるとなぜか全身で納得した。プルーストがbaignoireという言葉で桟敷席を表すとき、人は浴槽を想起する。そして浴場は体を洗う機能以上にもなる。

(礼)


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by trmt-ken | 2016-09-17 21:15 | chaillot | Comments(0)
L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-4<手仕事の身体性>

手仕事を考えるとき、校長で最も多くの授業を持たれていたフロワドボー先生Yves-Marie Froidevauxのことを書かずにはいられない。


「石を取り扱う時には石を驚かせてはなりません・・。木の楔に水を注ぎ、摂理に沿って石を割る。ダイナマイトは石を驚かせます。」そして、皆を加工現場に連れていき、石の表面を撫でさせる。手斧で削った石は平らなように見えても表面が波打っていた。そしてフロワドボー先生が修復された教会堂は、積まれた石が呼吸してざわめいているようであった。ノルマンディ作戦により甚大な被害を受けた地域で、LessayBernayの教会堂は蘇った。そのみずみずしさ。

手触りの記憶が建築の表面を撫でて、今見ている感覚と共鳴する。音の響きも。


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(ノルマンディーBernayの教会)

「彫刻など部分が破損したときは、昔ながらの道具を使って現代の職人が彫りなおす。たとえ同じにならなくても、鋳型でプラスチックにはしない。プラスチックに囲まれた教会で信仰が支えられるだろうか。」

「ステンドグラスの職人技は、東、南、西の時間差のある光の色に調和させること、最終的に白い紙は白く見えるように。ある色に染まったら、それは劇場であって、教会ではない。」モン・サンミッシェル、ルピュイなど重要な建造物や町並みの修復を手掛けられた。

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(モンサンミッシェル俯瞰-カレンダーより転載)




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(LePuy大聖堂の中庭)


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(LePuy大聖堂への坂道)

建築や造園・都市計画という空間的広がりを、歴史を継いで責任を持つという使命感。そういう職能があり、信仰という土台に載っていた。(礼)


【ご案内】

915() 14時から、上乃木のDOORさんで

ものを作る、という身体性

というテーマの集まりを企画しました。


平日ですが、 皆さまのご来場をお待ちしています。


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by trmt-ken | 2016-09-13 09:05 | chaillot | Comments(0)
L’Ecole de Chaillot-3- 私は階段マニア

何を隠そう私は階段マニア。特に石が重力にあらがうように上昇する回り階段に出会うと、ごそごそとスケッチブックを取り出さずにはいられない。

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サンジェルマンオンレの城の階段

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シャトーダンの城館の階段
回り階段が花開くのはルネッサンス。それまでの、中心と外壁に一枚石を架け渡す単純なつくりから、技巧の限りを尽くして眺望を楽しみ、上り下りを楽しむ階段が考案された。他にも、祭壇に上がるための木製の最小限階段なども家具のような・人体のような魅力を発する。
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ブロア:フランソワ1世の階段

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ヴァンセンヌ城:王の階段

ヴァンセンヌ城の『王の階段』:雪の降る日、もう少し居させてほしいと守衛さんに頼み、最後の見学巡回時までと交渉がまとまった。階段塔に幽閉されて、そのあと誰も来ない。あのおじさん、ワインでもひっかけて、すっかり忘れているのではないか、そしたら凍死か・・と最悪のケースが頭をよぎったとき、ジャラジャラと鍵の音がした。スケッチはできるのに、鉛筆を削ることができないほど指が凍えて、きっと一生忘れられない階段。構造は単純で大きな一枚石を積み重ねている。

(礼)


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by trmt-ken | 2016-09-08 18:24 | chaillot | Comments(0)
L’Ecole de Chaillot-2-授業点描-

L’Ecole de Chaillot(パリの古建築研究所)のこと-2〈授業点描〉


何人かの方に、シャイヨー校に進学したいとの相談を受けた。参考までに授業についてのつれづれ。


柱になっているのは、建築史と町並み保存、歴史地区における設計。建築史ことに中世建築史は1887年開校以来充実していて、日本でも西洋建築史の専門家には古くから知られている。戦後の多数の修復事業ののち、単体から町並みへと保全の範囲が広がり、歴史的環境に調和した現代建築を作る需要が増え設計の比重が増してきている。建築・都市計画・造園のほか、壁画・ステンドグラス・タピスリー・インテリア・家具などの歴史、聖遺物・イコンなどの授業があり、私は象徴性などの世界に魅了された。(別の稿にて)


構造はエコル・ポリテクニークから来られた先生で、ほかの先生とは違う空気が漂う。芸術家然とした学生達の技術的レベル(ほとんどゼロ)を把握していて、一からの懇切丁寧な授業であった。課題は、ノルマンディ地方のゴシックの教会の断面を与えられ、1.構造計算により、天井に亀裂の発生している原因の究明、2.応急処置及び3.本格処置の提案をするというもの。静力学の初歩とはいうものの、日本から3角関数のできる計算機を送ってもらってひいひい言って提出した。


「諸君に将来構造計算を依頼するわけではないが、これをすることにより、どこに問題があるかが直覚的にわかるようになる。そのための訓練だ」と目標と方針が明確で、方法まで理論的!と感じ入った。『仮定』と『推論』が大事。たとえば石と石間のモルタルの接合強度はゼロと仮定する、この柱の負担する範囲はここまでと仮定するなど、あらかじめ決まっていることは一つもなく、推論と現実との検証による…大学で技術的分野をすっ飛ばしてきた身には本当に身に沁みる授業であった。


課題のもとになった平面・断面などの作成も実技の課題としてあった。スケールは100分の一と決まっていて、一定レベル以上の図面は正式な記録として保管され活用される。(我が国でも参考にすべし)

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アルルに遠征してモンマジュール修道院墓地礼拝堂に取り組む


論理的な思考は構造にとどまらない。ルネッサンス担当は気鋭の学者(Pérouse de Montclos, Jean-Marie)で、従来の建築史の分類は様式や装飾に傾きすぎと主張されていた。徒弟制度の技術者集団に受け継がれる技術は、様式史とは「ずれ」があり、もう少しゆっくりと、しかし確実な流れで、そうした観点から建築史を見直すべきといわれた。生き生きとして猛烈な早口で、しばしば、学生から「もっとゆっくり!」と悲鳴があがった。当然私には授業中には理解不能。勢いだけ味わい、後で「ゆっくり」と録音にて堪能した。


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ルネッサンスの華・階段:シュトラスブールにて

(礼)


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by trmt-ken | 2016-09-05 22:29 | chaillot | Comments(0)
L'Ecole de Chaillot-1-友人たち

シャイヨー校(パリの古建築研究所)のこと-1〈友人たち〉

パリ留学の最初の2年間在籍した、シャイヨー校について、思い出すままに。

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ビニョリ・サンテチエンヌ教会周辺再開発計画

のっぽのセルジュ:ユーゴ国籍の大男。適切な靴がなくて、どでかいスニーカーに穴がありいつも親指が飛び出していた。街並み保存の課題にも、町の全部を作り替える提案をして落第点をもらっていた。私と並ぶとほんとに凸凹コンビ。

ギリシャのカチビニス:本国での保存建築家としてのキャリアがあり、休講の時には代わって講演した。ときどきため息をついて「ああ青空が見たい」とどんよりとした冬のパリの空を嘆く。

黒衣の貴公子:いつも全身黒づくめ。ある時タートルネックのセーターを一枚脱いだら、その下も同じ黒のセーターであった。その後の私の手本。

イタリアのマダム:3人の幼児を持ちながら学び続ける物静かな人。

ヴェルサイユのマダム:髪も服も靴も物腰もエレガントな方。いつも感嘆していて、素敵ですねと言ったら、『わたくしの年齢では・・』とちょっぴり恥ずかしそうに言われた。そう、少し歳をとったらあんなふうに素敵になって、そして『わたくしの年齢では…』というんだ!と決心した日。もうとっくに過ぎているけど。

年齢も国籍も様々な同級生。課題の目鼻もつかず悶々としていた時にふらっと遊びに来て、ああそんなの、係数を掛ければいいんだよとさらっと教えてくれたり。歳をとること、古い建築の美しさに浸った時間。建築だけでなく、生き方も学ぶ。

一昨年は、同窓であり、同僚であったラパン氏が夫人同伴で松江に見えた。シャイヨー校出身だというと、外国人がたちまち同胞に代わるお国柄。古い建築を学び、新しい建築を作る。なぜ、こうした学校が日本にないのだろうか。 

(礼)


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by trmt-ken | 2016-09-03 23:25 | chaillot | Comments(0)
紫陽花色のドレス
紫陽花のブルーが好きで、隠岐の家から株分けしてもらった一株からずいぶん増やしました。月照寺に近く、土地柄にあっているのでしょう。
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微妙なブルーを見ていると、美しいドレスを思い出します。滞仏中に出席した所長の息子さんの結婚式、昼間はひっそりと教会の式で、夜はホテルでの舞踏会でした。花嫁さんはずっと白のドレスの着たきりで、華やかなのは新郎・新婦の母上方でした。プリュネ所長の奥様はプラチナブロンドのとても美しい方で、ブルーの微妙に色の変化したイブニングドレスを着ておられました。総じて、若い人は収入に見合ってそれなりですが、年配の方の華やかさ、立派さに、早く大人になりたいと思ったものです。私は一枚持参していた振袖で出席、ダンスのときは、適当に締めた帯が分解しないか、袖が千切れないか肝を冷やしました。30年も前のことです。

プリュネ事務所はサンジェルマン・デ・プレ教会に近いペロネ通り、木製の廻り階段をぐるぐる上った伝統的なパリのアパルトマンでした。プリュネ先生は亡くなり、息子さんが歴史的建築物主任建築家として後を継いでいます。
(礼)

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by trmt-ken | 2012-06-24 16:30 | chaillot | Comments(0)
魔法のことば ―フロワドヴォー先生
知人がフランスのル・ピュイ=アン=ヴレ(以下、ル・ピュイ)へ行くとのこと、旅行好きの虫がうずうずしてきます。地母神・ヴィーナス・聖母信仰の地であり、巡礼の起点として聖地であったル・ピュイは、文化のるつぼでした。
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(上)ル・ピュイのノートルダム大聖堂(ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂)
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(上)イスラムの影響も強い回廊。
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(上)回廊には、シュメール、エジプト起源の柱頭彫刻があり、イスラムの影響も強く、中世という時代の多様性と豊かさに圧倒されます。

ル・ピュイのノートルダム大聖堂は、パリのノートルダム大聖堂モン・サン=ミシェルとともに、恩師・フロワドヴォー(M. Yves-Marie Froidevaux)先生の手により修復、修景されました。土地は起伏に富み、様々な石に舗装され、街をさまようだけで飽きることがありません。またフロワドヴォー先生の手にかかるとそうした名建築はもちろんですが、小さな教会も、石がざわめいているような、壁が生きて呼吸しているような特別な感じがします。学者・学生・職人さんなど誰からも敬愛された方でした。
そして、滞仏中に歴史的建造物に関わる様々な場所で助けられた魔法の言葉があります。「お控えなすって。私、シャイヨー校に籍を置き、フロワドヴォー先生に学びました。」これで、一瞬にして異邦人が義兄弟に変貌するのでした。
20年後、ル・ピュイに家族旅行したとき、連れがどうしても土地利用図を手に入れたいと言い出しました。しぶしぶ市役所に出向き、忘れかけたフランス語をしぼりだし、「お控えなすって…」とあいなりました。先生が亡くなって久しく、しかしながら「魔法のことば」はまだ生き続けていて、山のような資料を頂いて帰ったのでした。

(礼)


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by trmt-ken | 2010-11-21 22:20 | chaillot | Comments(0)