補遺-現代建築の現在-
連載を振り返って

島根県建築士会々報の連載「現代建築の現在」が一段落しました。
連載のモチーフは第2回「懐かしい建築・新しい建築」のまえがきに記しました。

1999年、本誌に「モダニズム建築の現在-美しい街は可能か」という文章を書きました。最近の現代建築が細い迷路に入り込んでいる様な気がして、その実態を明らかにしたいと考えました。現代建築の大きな弱点の1つが「美しい街なみをつくれなかった」というところに現われていると感じたからです。編集部から、その続編を書く許可をいただいたので、今後数回にわたって論じてみたいと思います

第12回「住処・棲家の自然」までを通読してみると、いくつか説明不足の概念があることに気付きましたので補足します。

身体性
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モジュロール ( ル.コルビュジェ)
 本稿では身体性という言葉を何度も使っている。「労働という身体性、歴史的集落の価値と身体性、居心地という身体性、景観における身体性、架構デザインの身体性、機械生産性と身体性、身体性を失った近年のモダニズム建築、身体性を保持したモダニズム建築・・・」などであるが、言葉の意味を厳密にわきまえて使っているわけではなく、むしろそのような使い方の中から「身体性」を定義している側面もある。ネットで検索すると以下のような記述がある。

〇身体性とは、身体そのものだけでなく身体を通して生まれる感情や感覚、直感までを含めたもの。関連語としては、身体感覚・身体意識・身体能力・身体的思考などがある。
〇 ヒトは、身体で感じ、身体で考える存在であるという。誰しも生まれてからしばらくの間は理想に近い形で身体意識が働いているが、言語を習得し成長するにつれ、身体意識との結び付きを喪失した視覚的・聴覚的意識の強い意識世界をしだいに作り上げる。

底流の主題
 前期モダニズム時代は、工業化社会にふさわしい装飾の少ないインターナショナルスタイル(世界共通様式)を追求することが主題であった。そして「新しさ」とか「オリジナリティ」とかが大切・・・という価値観が広く流通していた。この新しさやオリジナリティという概念はアートの世界では一般的であるが、建築の歴史では古くからあったわけではなく、前期モダニズム特有の主題ではないかと思われる。建築する目的は「心地よく住む」という事であり、新しさとか独自性(オリジナリティ)とかは目的や使命にはなり得ないにもかかわらず、なぜこのようなことが重要と考えたのだろうか。 

 起源は、コルビュジェの「自由なプラン」、「自由なファサード」に関連しているように思う。それまでの様式建築には墨守すべきセオリーがあるとともに、構造や材料などの制約も強かった。従って歴史的建築は少しずつ緩慢に変化(あるいは進歩)していったので、「画期的な」建築が一気につくられることは無く「よく似た」建築は周りにたくさんあった。また、そのことが街並みの統一感や連続性を育んだ。
 
 モダニズム建築の初期は、コンクリート造や鉄骨造の建築をその都度工夫しながらデザインしなければならなかったので、新しい建築言語の開発が必要であった。新しさやオリジナリティが求められたのである。後期モダニズム時代に入り、新しい建築言語は次第に煮詰まって行きおおよそのことは達成されてしまった・・・ように 思う。むしろ日本や世界中に独創性(!)あふれる、新しい(!)奇妙な建築が大量に出現することになり、その弊害が目立つようになった。にもかかわらず「新しい建築言語はまだまだあるはずだし、それが建築の使命である」と考える人達は今も多い。

 街並みの不調和が議論され、「際立つ」ことより「おさまる」ことが求められる時代になったと思う。
「新しいかどうか」より「相応しいかどうか」が課題と考える。その地に相応しいかどうか、その人に相応しいかどうか、その課題に相応しいかどうか、さらには・・・その課題は相応しい課題かどうか・・・。
 そして、そのような思考や作業の積み重ねの先に見えてくるものが「普遍性」と呼ばれるものかもしれないし、「新しさ」や「独自性」を感じる建築なのかもしれない。

建築と街並み
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東京海上火災ビル
 現代建築による良好な街並みはどのように可能であろうか・・・という課題については
〇 街並み協定や道路や植栽、水辺などによって美しい街並みづくりを目指す。
〇 与えられた敷地の中で最善を尽くす。
などの方法がある。前者の場合、比較的良好な街並みは可能であるが「感動的な」街並みまでは望めないことが多い。後者の場合は、その周辺のみが「感動的に」なるのが精いっぱいであろう。個々の建築と街並みに関するこのような状態を克服するための試みが、これまでいくつか行われてきた。

 前川國男は、石に替る表装材として煉瓦タイルに着目し、大型の煉瓦調タイルをコンクリートに打込むことを追求した。低層の美術館や図書館だけでなく、高層のオフィスビルにも工夫を重ね、煉瓦タイルで都市の基調を構成することを目指した。槇文彦は、代官山ヒルサイドテラスにおいて約40年間(7期)にわたり少しずつ増築を行い、連続感のある街並みを形成することに成功した。建築と街並みの良好な関係を示す稀有な例と言える。
 「建築は小さなまち、まちは大きな建築」という視点に立った粘り強い試みが、今後も継続的に行なわれることが求められている。
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代官山ヒルサイドテラス
地域性・ローカリティ
 例えばこの地の建築は「東アジア・温帯モンスーン気候・裏日本・地方都市あるいは農山漁村・過疎地」などの条件に規定されているが、地域性やローカリティとは必ずしも松江とか山陰とか特定の地域を指すだけではなく、「地域性一般」とか「ローカリティ一般」という捉え方が必要ではないか・・・という論がある。

「歩いて1日で行ける範囲」とか「この川の流域」、「ここから眺められる地域」など小さな場所の中で暮しながらの思考や感覚・実感が大切であり、大都市の無限定空間で行なうこととは異なった結果をもたらすのではないか。 
 
地域、コミュニティ、自然と結ばれた暮らし、新しい共同体、これらの人間同士の関係、様々な文化、地域主権、参加、ボランタリーな活動。これからの私たちの暮らしの指針として用いている言葉は、どれもが小さな世界を基盤にするものばかりである。・・・ローカル性にこだわることは、閉じられた世界で暮らすことではなく、大きな世界と交流するうえでの自分の足場を持つ、という事であろう。  (内山節著 「里」という思想)
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          内山節著"「里」という思想"

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by trmt-ken | 2017-10-07 13:28 | 現代建築の現在 | Comments(0)
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