モダニズム建築の現在-1  「美しい街」は可能か
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昭和30年代の石州瓦集落


 1999年にスタートした島根県建築士会々報の連載「モダニズム建築の現在」が第10回となりました。(1)(2)(3)と(5)がブログには未掲載でしたので、今後順次掲載します。

 日本や世界の各地に、その地方固有の風土に育まれた美しい街があることを、私達は知っている。その様な街を訪れるたびに、しみじみとした感動を味わうことが出来る。……来て良かった……。
 ところで、私はうかつにも近年になって初めて、「美しい街」とはすべて古い街(古い建物で構成された歴史的なまち)であることに気がついた。そして、新しくて美しい街はどこかにないかと探してみても、なかなか見つからないことにも気がついたのである。
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ミコノスの白い集落


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ドブロクニク


 これは少し大変なことである。街の構成要素のなかで、建築の占める役割は大きい。現代建築の集合は美しい街にならないのではないか。少なくとも、現代建築の集合による美しい街は、未だ私達の前に姿を現していない様な気がする・・・そして、現代都市が古びさえすれば美しい街になるかといえば、どうもそうではなさそうだ。
 とすれば、私達が日々営々と設計を行っている現代建築達は、「美しい街」をつくることに全く貢献しないのではないか?
 この様な問いの行く手に、いくつかの態度が私達を待っている。

■ 現代建築に多くの期待をかけないで、道路や植栽、水辺などによって美しい街並みづくりを目指す。(都市デザイン派)
■ 古い建築で街を埋め尽くせと叫ぶ。(復古派)
■ 現代建築の大きな課題と受け止め、克服の道を捜す。(苦悩派)
■ 知らんプリを決め込む。(無関心派)

これらの態度について、少し踏み込んで検討してみたい。

現代建築に多くの期待をかけないで、道路や植栽、水辺などによって美しい街並みづくりを目指す都市デザイン派
 建築を、広場や街路を囲む「背景としての壁」と把える態度である。都市空間の主役は、広場空間や街路空間及びそこで行われる人間の活動(アクティビティ)であって、「背景としての壁」はなるべく控え目であってほしい。従って高さや色などは揃っているのが好ましいし、奇抜なものは避けてほしい。建物よりむしろ植栽や舗装、水辺などによって都市空間の豊かさを得ようという態度であり、都市計画のプランナーに多くみられる考え方である。現代建築(家)達に対する信頼感は薄い。つまらない建物は緑で隠せと考えたりする。街並みづくりの協定として、緑化や建物の高さ・色調などの統一、壁面線の指定等が主に行われるのはこの様な考えの表れであろう。
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島根県景観サポーターガイドブック



■古い建築で街を埋め尽くせと叫ぶ復古派

 第2次世界大戦で破壊された街を復興するにあたって、資料を頼りにしながら、それまでの中世の街並みの復元を選んだ都市は、ポーランドのワルシャワ、フランスのルーアンなどヨーロッパには多く見られる。古い街並みの保存・復元は単なるノスタルジーではなく、民族(又は地域)のアイデンティティの表現であり、「私であること」の確認が、主として「私の街の歴史的風景」の視覚的確認によってなされるという考え方である。ヨーロッパの古い街のみならず日本の各地でも、江戸期以来の街並みを愛惜する例は多くみられるところであり、わが松江も同様であろう。
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武家屋敷(松江市)

古い街並みの魅力については、
○石や木、土などの自然系素材による統一感と親密感
○機械ではなく、人間が尺度となっているスケール感の心地良さ
○熟練した職人の技、または稚拙ではあっても、丁寧に丹精込めてつくられたものの素朴な味わい
○ゆっくりと流れる時間によって形成されてきたことによる確かさ
などと理解されている。
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築地松の集落



■現代建築の大きな課題として受け止め、克服の道を捜す苦悩派

 現代建築には感動がない、現代都市はとても醜悪である、都市や自然など外部環境に貢献しない現代建築にいかほどの価値があるか、などと本気で考える人達の態度である。かつてイタリアの街に滞在しているうちに、古い都市や古い建築に圧倒され、「私の設計すべき現代建築はない」と考え込んでしまった建築家がいたという話を聞いたことがあるが、とても笑う気にはなれない人達である。
 克服のヒントは前の2つの態度(都市デザイン派と復古派)の中にあるのではないか・・・と考える。そして現代建築の発生の原点を点検しようとも考える。
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イタリアの漁村



 ここまで論を進めてきて、都市デザイン派、復古派、苦悩派の3派を統一的に語る視点として、「場所性」「身体性」という2つのキーワードが浮かんできた。ユニヴァーサリティ(普遍性)という概念も魅力的である。しかし、これについては稿を改めて論じてみることにしたい。今回はここまでにします。

 3年前(1996年)、松江市主催のまちづくり塾において「苦悩する建築家」という視点から、都市と建築の関係について意見を述べることになった。そしてその結果、「民家や寺院などの古建築や歴史的な集落はすべて美しいのに、ほとんどすべての現代建築や現代都市が醜悪なのはどうしてだろうか?」という素朴な問いに、私自身が答えなければならなくなった。
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京橋川沿い-昭和30年代と現在



苦悩しているのは、現代建築や現代の街並みそのものなのである。
素朴な問いに対しては、言葉と実践の両方で答えなければならないと考えている。
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現代都市


 江戸期の影がそこかしこに残る城下町松江を題材として、「美しい街はどの様に可能か」と問う事は、「モダニズム建築の現在」を正面から問う事を意味している。

 

***モダニズム建築とは***
産業革命によって、他の技術と同様に建築技術も飛躍的に進歩しました。
●石造や木造にかわり、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の普及
●ガラスなどの新しい建材、電気や空調など新しい設備の利用
などにより、装飾の少ない「現代建築」(モダニズム建築)のスタイルが出来上がりました。このスタイルは「インターナショナルスタイル」と呼ばれ、国際様式・世界共通様式という意味をもっています。当初はさっそうとした若々しさ・爽やかさ・初々しさ等の気分で迎え入れられたのが、その後陳腐化し、単なるのっぺりした四角い箱という様相を深めたため、モダニズムに対する反省の動きが出始めました。(これをポストモダニズムといいます)モダニズムが置き忘れてきたかのように見える歴史性や地域性を再評価しようとするものでしたが、その多くは「新しい装飾主義」とでも呼ぶべきものになっているようです。

『モダニズム建築の現在』について、これまでのテーマは以下の通りです。
1. 美しい街は可能か(今回)
2. 懐かしい建築・新しい建築
3. 空間の居心地・ここちよい景観
4. 漂うモダニズムを読みました
5. 新体育館は現代的デザインがふさわしい
6. 土な建築・土なモダニズム
7. 土な建築・土なモダニズム-2
8. 新国立競技場問題と土なモダニズム
9. 土なモダニズム・新しい地域主義
10.出雲大社庁の舎からモダニズム建築を考える
(和)

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by trmt-ken | 2016-06-02 11:09 | 現代建築の現在 | Comments(0)
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