出雲大社庁の舎からモダニズム建築を考える
 ― 現代(モダニズム)建築の現在 10—

出雲大社庁の舎の解体が検討されていることを知り、50年前のモダニズム建築の傑作について改めて考えてみました。
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出雲大社庁の舎

■神社の祖形・建築の祖形
 庁の舎は田園風景の中にみられる「いなはで」をモチーフとして設計されたということはよく知られています。出雲大社という日本最古かと思われるほど古い歴史を持つ神社の境内に、コンクリート造の現代建築をどのように構想するか・・・という課題に対し、菊竹さんのイメージ力は「建築のもっとも古い形式・・・建築の祖形」に到達したのではないかと思われます。
神社の祖形は、外敵や湿気・ネズミなどから大切な食料を守るために工夫された『高床式の米倉』と言われています。ではそのような神社に仕える庁の舎は、どのような姿を持つべきか?
倉より控えめで稲作にも関連し、もっと素朴な建築形式である「いなはで」がふさわしいのではないか・・・現代建築の総力をあげて、建築の祖形を設計する・・・となったと推測します。
ただ、天才建築家菊竹清訓さんのことですから、理屈をウンウンうなったすえやっとたどり着いた結論・・・というよりは、旅をしながら出雲平野の築地松や「いなはで」の素朴なかたちなど眺めているうち、故郷の九州の田園風景を思い出し、突然「これだ!」となったのかもしれません。
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高倉式の米倉
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いなはで
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稲架木(はさぎ)並木

■「か・かた・かたち」と架構のデザイン
 「いなはで」は「稲架」と書くことを今回知りました。菊竹さんの建築論「か・かた・かたち」の「か」とは何のことだろうかと長い間見当がつかなかったのですが、「架」と理解すればわかりやすい・・・と思うに至りました(私の勝手な解釈です)。 「架・型・形」です。
菊竹さんは文章による理論としては、「か」に文明論的な深い意味を込めておられますが、深層の心理ではきっと、架構のデザインをどのようにするか・・・が大きなウェイトを占めていたのではないかと推測します。
庁の舎が竣工した1963年ころの菊竹さんは、構造設計家の松井源吾さんと「架構をデザインすること」に多くのエネルギー注いでいました。
・建築を地面から持ち上げること
・建築をつるすこと
・構造の力の流れを視覚的に表現すること
などにより、東光園、佐渡グランドホテル、スカイハウス、旧島根県立博物館、京都国際会議場コンペ案、都城市民会館など多くの力強い建築空間に挑戦していました。
庁の舎の50mに及ぶワンスパン構造からも「大きなちから」が伝わってきます。
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東光園
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スカイハウス
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旧島根県立博物館
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京都国際会議場コンペ案

■架構のデザインと身体性
「持ち上げる」とか「つるす」という構造は、単に建物をそうするということにとどまらず、建物の利用者を「持ち上げる・つるす」ということも意味しています。私たち自身が「持ち上げられた空間・つるされた空間」にいるという身体感覚を伴います。そして架構を出来るだけストレートに表現することによって、身体感覚がさらに増幅します。
この身体感覚を伴う架構デザイン(架構デザインの身体性)が、一連の菊竹さんの建築の特徴と考えられます。
(当時のモダニズム建築について、大建築の時代とか大建築の聖地・・・とかいう表現があります)

■現代建築の1960年前後
庁の舎は1963年に竣工していますが、翌年の1964年には丹下健三さんの傑作である代々木のオリンピック競技場が竣工しています。大地に柱を建て、ケーブルによる吊構造で大空間を覆う明快な構造です。登呂の遺跡など住居遺跡にみられる「天地根源造り」を意識した構造と言われています。竣工が1年違いということですので、設計時期は庁の舎と重なっているということになります。設計中、丹下さんと菊竹さんの間に何らかの交流があったかどうかはわかりませんが(どなたかご存知でしたら教えてください)架構をデザインするという『時代の特徴』を表わしています。日本の戦後が終わり経済の高度成長期に入った1960年代に、丹下さんや菊竹さん達による日本の現代建築が「世界を代表する現代建築」となりました。
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国立代々木体育館
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古代住居の復元模型

■架構のデザインと表層のデザイン
 架構のデザインということについては、最近の新国立競技場の2回にわたるコンペにも典型的な形で現れています。最初のコンペでは、「規模や用途などの設定が杜撰で、神宮外苑の歴史性や場所性に相応しくない上にコストがかかり過ぎ」ということで白紙撤回となりました。 本稿の第8回新国立競技場問題と土なモダニズム」では、ザハ案のデザイン性について、『流線型でのっぺりしていてスケール感に乏しい、という外観のデザイン性は、「身体性=スケール感」から離れていますが、内部空間も「身体性=心地よさ」から離れた「離土性」のデザインです』と述べました。表層のデザインが目を引きましたが、架構のデザインが不十分でした。
 
その後行われた第2回目のコンペでは、表層デザインのA案と架構デザインのB案という対照的な案が提出されました。B案は菊竹事務所OBの伊東豊雄さん中心のチームです。「表層のコロモではなく、架構のデザインが追求されるべきである」という菊竹さんの庁の舎のエッセンスが、50年後再び展開しているように感じました。
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新国立競技場ザハ案
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新国立競技場A案
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新国立協議場B案

菊竹さんの庁の舎について考えていると、「建築の祖形からモニズム建築の将来まで」を見通すことになります。1960年代という、モダニズム建築がはつらつとしていた時代の世界的な名建築・・・と改めて思いました
(和)

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by trmt-ken | 2016-04-29 18:16 | 現代建築の現在 | Comments(0)
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