土なモダニズム・新しい地域主義(モダニズム建築の現在-9)
土な建築・土なモダニズムについて考えているなかで、建築批評家、K・フランプトンの「批判的地域主義(Critical Regionalism)」という1980年代の論考があることを知りました。建築における無批判なグローバリズムに対抗し、地域に密着したバナキュラー建築とモダンな近代建築を節合しようとする論・・・と理解されています。
「場所に根ざした建築であること」、「風土性を最大限に生かした建築であること」などを主張し、普遍性と地域性を同時に実現することを求める論考です。

■北欧の建築
K.フランプトンは、ヨーン・ウッツオンのバウスヴェア教会やアルヴァ・アールトの セイナッツァロの村役場など北欧の建築をその好例として挙げています。このほか北欧には、森の火葬場やストックホルム市立図書館を設計したグンナーアスプルンドなど尊敬すべき建築家がいますが、これら北欧の建築には共通する「静けさと奥行きの深さ」が感じられます。
1980年ごろと言えば、日本では1983年にポストモダニズム建築の代表的な筑波センタービル(磯崎新)が竣工しています。私は事務所を始めたばかりで、渋谷にいながら隠岐の仕事をやっていた頃です。まさに、「隠岐の建築でモダニズムをどう考えるか」と思案し始めたころでしたが、フランプトンの論考は気が付きませんでした。
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バウスベア教会
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セナッツアロの村役場
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森の火葬場

■ワンシュウ(王澍)さんのモダニズム批判
一昨年、秋の連休を利用して中国旅行に行ってきました。杭州と寧波にあるワンシュウ(王澍)さん設計の建築を訪ねる旅に、松江や出雲の設計事務所の若い人たちの中に混じって行きました。写真は寧波歴史博物館の外壁ですが、RC壁の上に煉瓦や瓦などが張り付けてあります。なんでも古い民家に使われていたものの再利用で、工事を行なったのはその村に住んでいる農民だそうです。冷たくて退屈なモダニズム建築へのワンシュウさんからのメッセージです。
○素材にこだわり、伝統的文化をデザインし直す
○アマチュア性を評価する
○モダニズム建築のセオリーへの懐疑
ワンシュウさんは、近年のモダニズム建築の属性とかセオリーとかに対して懐疑を抱いて、「別の価値観をモダニズム建築で表現する」ということを意識的にひとつずつ吟味しています。「整然としていてスマートでこぎれい、垂直と水平や流線型、メンテナンスフリーのアルミ製品やガラスの多用、専門家性や玄人好み・・・」などのモダニズム建築に対し、慎重に対案を出しています。杭州地方の歴史的な材料や工法を現代的に再構成しながら、「こぎれいではなく、どちらかと言えば無骨、カッコよさや流線型は避ける、立面や断面に斜め線を導入、大きなガラス面は控え、壁の中に小さめの窓をあける、畑や荒石など田舎風のランドスケープデザイン・・・などの工夫が読み取られ、とても面白い旅でした。
友人に報告したところ、「それは吉阪隆正に通じるネ」という感想でした。
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寧波歴史博物館
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ヴィラ・クウクウ

■藤森さんの野蛮ギャルド 
赤派の大将・土の藤森さんの野蛮ギャルドを「土なモダニズム、新しい地域主義」にくくるかどうかは悩ましいところです。ご本人の「私のやり方は、大まかに言うと記念碑的な建築や歴史的な様式が成立する以前の民家の味に近い。民家は現在、国や地域ごとに独特の形をとっているが、私の求める味はそうした各国各地域のどれかではなく、どの民家にも共通の味があるはずで、それを引き出したい・・・」という「インターナショナルバナキュラー」の席に座っていただくことにしました。
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高過庵
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神長官守矢資料館

■建築の普遍性(ユニヴァーサリティ)と地域性(ローカリティ)  
以前から、モダニズム建築の「世界共通様式」にはどこか馴染めないところがありました。一方、地域性に着目した「松江らしさ・島根らしさ」などの○○らしさという思考にも胡散臭いものを感じてもいました。建築の普遍性と地域性について、もう少しすっきりした認識に到達したいと思っていて、本稿の第3回「空間の居心地・心地よい景観」で空間の普遍性について以下のように記しました。

「歴史性や地域性を超えた空間の普遍性(ユニヴァーサリティ)とは、人間の動物的本能に根ざしたものを指す」という説であり、以前槇さんから説明を伺った時は文字どおり目からウロコであった。姿かたちや材料がどうあれ、また洋の東西や新旧を問わず、優れた建築や素晴らしい空間には私たち誰もが感動する。この「誰もが」ということはどうしてだろうか?という疑問に対し、「現代の日本人も、大昔のアフリカ人も、中世のヨーロッパ人もそう大きな違いはない。なぜなら、みな人間だから」という説である。
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パンテオン
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ロンシャンの教会

空間の普遍性とは、インターナショナルスタイル(国際共通様式)やユニヴァーサルスペース(近代の無限定空間)などにあるのではなく、「人間の本能に関わること」という認識は大きく示唆を与えてくれました。
では、建築の地域性とは何か・・・。
ほとんどの建築はたった一つの場所に建つ・・・という個別性・一回性を持っています。「その地域・その場所・その時」ということに特徴があります。

「建築とは、人間が住むという普遍性と、その土地に建つという地域性の中に存在する」ということになります。

■新しい地域主義
なんだか、当たり前のことを延々と論じているような気もします。K.フランプトンの批判的地域主義も、「いかに近代的でありつつ起源に敷衍し得るか。古く眠った文明を蘇生し、それを普遍文明へといかに参画させ得るか」と、言語としては当たり前のことを主張しているとも思えますが、新しい地域主義に向けて何かを指し示しているとも思います。

建築を言語で語るのには当然限界があり、結局は実作で示すしかないのでしょうが、もうしばらくの間、新しい地域主義について言語で迫ってみたいと思っています。
東京の建築とパリの建築、山陰の建築は大きく異なる・・・・・と。
(和)

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by trmt-ken | 2016-01-06 12:47 | 現代建築の現在 | Comments(0)
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