自分が自分となる時-名前の持つ意味-
理由はいろいろある。でも自分が自分になった時、なんという名前だったかは大きな出来事だと思う。その「瞬間」は人によって違うだろうけれど。
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広島にて

私の場合、それは中学生の時であった。以来、建築という仕事を選び、結婚し、松江に移住し、少しずつ変化しているけれど、根っこのところは変わっていないと思う。それが私の名前。
厳密に信念を持って旧姓を使用してきたわけではない。しかしながら、本音を通すことが物つくりの基本だと思うので、微妙な違和感にも誠実でありたいと思う。

試薬のように、どの場面ですわり心地がいいか考えてみる。
物を作っているとき…絶対に旧姓
文章を考えているとき…これも旧姓
病院で呼ばれるとき…戸籍の方が良い(仮面に隠れたい。あるいは番号でもよい)
母親として学校に出かけるとき・・・戸籍がよい(誰それの母親ということが大事)
隠岐で親戚付き合いのとき・・・戸籍(誰それの妻ということが大事)
東京で実家関係の付き合いの時…どちらでもよい
昔の友人と会うとき・・・旧姓(旧姓でないとわからない)

眺めてみると、事務手続き上や、関係の中にいることが問われる時には戸籍名でよいが、創る・考えるなど存在にかかわるときは旧姓でないと自分でないと思う。考えることさえできない。
別の試薬。…男の人へ。合憲判断をした裁判官諸氏へ。たいしたことではないならば、自分が変えてみてはどうですか。
(礼)

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by trmt-ken | 2015-12-17 20:13 | 折々に・・・ | Comments(0)
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