隠岐の島から代官山を回想する

槇文彦氏「漂うモダニズム」を携えて隠岐に滞在中。
知性も感性も同時に刺戟され、読むことの喜びを堪能しています。

代官山といえばヒルサイドテラスですが、個人的にはもう一つの代官山があります。生まれ育った同潤会アパートです。「都市に咲いた小さな異郷」に添えられた写真、かっての私の家の前です。斜面に沿って降りる階段は時々ロケに使われました。桜の大木が覆いかぶさっていて、春には桜吹雪の後、盛大に黒い毛虫が落ちました。外出時には、傘を差してこわごわ通りました。あるいは「中の道」をとおって別の出口から出入りしました。
「中の道」というのは、階段の踊り場を繋ぐ迷路のような渡り廊下で、子供にとっての解放区でありました。住宅の生活の一部がはみ出し、建物の中の街であり、道であった。また建物は古びていたけれど、欅などの樹木に守られていた気がする。ギャラリー前の樫は代官山のどんぐりから育ち、松江の家の欅にはその遠い守られていた記憶が引き継がれています。

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松江清光院下の家

丹下健三の代々木競技場について「水泳場の飛び込み台に立ったある外国選手の、それは天国に向かう気持ちであったという一言を生涯私は忘れることができないだろう」。まことに。
代官山から近かったため、時々代々木のプールで泳いだ。あるとき何か不思議な気持ちにかられ、飛び込み台から飛び込んでみた。正確にはほとんど墜落してみた。低い台にもかかわらず、すごい水圧でセパレートの水着が脱げてしまい、水中の地獄ではきなおすのに大慌てをした。以来、あんな高いところから飛び込んで大丈夫だろうかと余計な心配をしている。

若いころの槇さんの写真を拝見しながら、やはり、建築は楽しい、創ることは歓びということを感じています。
(礼)


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by trmt-ken | 2013-05-22 11:25 | 折々に・・・ | Comments(0)
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