自然に罪はあるのか

永い時間が経ったような気がする。禍々しい映像を見て以来、こんなに離れているのに乗り物酔いのようなめまいが続いている。

2011年3月27日、藤森照信「建築とはなにか」の書評の最後に添えられた平松洋子氏の言葉。
建築史家として過去に向かい、建築家として未知に向かう。…体内にはきっと、あちこちの古い大地の記憶が養われているに違いない。であるならば、私も問いたい衝動を抑えられない。一瞬にして生命も日常も町も建物も破壊した東北のすさまじい惨禍を、日本の建築は、建築家は、どのように受け止め、どう乗り越えていくのだろうか、と。

問われているのは、既に、技術のレベルではないような気がする。そして建築や、都市計画だけでもない。我々は何をしてきたのか。我々の努力してきたことはなんだったのか。我々は何処へむかうのか。…自然に罪はあるのだろうか。
(礼)
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by trmt-ken | 2011-03-29 21:40 | 折々に・・・ | Comments(0)
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